福王寺 (広島市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 福王寺 (広島市)の意味・解説 

福王寺 (広島市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/20 15:50 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
福王寺
所在地 広島県広島市安佐北区可部町綾ケ谷
山号 金亀山
宗派 真言宗御室派
本尊 不動明王
創建年 (伝)天長5年(828年
開基 (伝)空海(弘法大師)
札所等 広島新四国八十八ヶ所霊場21番
法人番号 8240005000550
テンプレートを表示

福王寺(ふくおうじ)は、広島県広島市安佐北区可部町綾ケ谷にある、真言宗御室派の寺院である。

歴史

寺伝によれば、811年ないし828年空海(弘法大師)の開基という。寺の縁起によれば、空海が山中に不思議な樹木を見つけ、その枝と根を残したまま不動明王の像を彫った折に、池の中から金色の亀が現れたことから、この寺を金亀山福王寺と名付けたとされる。

可部荘は大治2年(1127年)、高野山(開祖は空海)に寄進されている。また、1977年に焼損した不動明王像(立木仏)は平安時代後期から鎌倉時代の作と見なされることから、実際の創建は平安時代後期である可能性が高い[1]

寺は安芸武田氏武田氏信によって復興、後には毛利氏の庇護を得て最盛期は2000石程の寺領を持つ大寺院となったが、その後の広島藩主福島正則の頃に衰退。浅野氏の頃に現在見られるような寺院へと復活を遂げた。江戸時代中期の1779年(安永8年)には火災に見舞われ、この時に金堂等を焼失している。

境内

山門(仁王門)
中央の通路を挟んで左右に一対の金剛力士像を安置する。安土桃山時代、毛利氏の保護下にあった頃の建築で、福王寺に現存する最古の建築物。
金堂(本堂)
1977年9月、落雷による火災が発生し。旧金堂を焼失。現在の金堂は1982年に再建された。寺に代々伝わる空海作とされる不動明王像は、この時の火災で炎上し、修復された後に新しい不動明王像の胎内仏として安置されている。
阿弥陀堂 
1851年の再建で、阿弥陀如来像を安置。また回廊を左右に配し、金堂、客殿へと繋がっている。
熊野三社
1707年に再建。権現造りで、銅板を使って屋根が葺かれている。左右には稲荷堂、金比羅堂がある。
武田氏信の供養塔
安芸武田氏の当主で佐東銀山城の初代城主でもある、安芸守護武田氏信の功績を称えて建てられた。
燈明杉
市指定天然記念物で江戸時代の地誌『芸藩通志』にも記載されている。元は5本の杉が立っていたが、現在は4本となっている。
金亀池
空海が金色の亀を見つけたとされる池。現在でも亀がいるが、ニホンイシガメという一般的な日本在来種の亀である。
霊水
福王寺境内に湧く水は霊水として珍重されている。

アクセス

  • JR可部線可部駅下車、勝木方面行きバスで10分。福王寺口下車徒歩30分。

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 『日本歴史地名大系 広島県の地名』(平凡社、1982)の「福王寺」の項による。

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「福王寺 (広島市)」の関連用語

福王寺 (広島市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



福王寺 (広島市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの福王寺 (広島市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS