桂文團治
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4代目
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4代目 | |
本名 | 水野 音吉 |
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別名 | 杉山文山 「ゴジラ」 |
生年月日 | 1878年8月6日 |
没年月日 | 1962年12月14日(84歳没) |
出身地 | 日本京都 |
師匠 | 2代目桂米團治 初代三笑亭芝楽 三升家紋彌 |
弟子 | 2代目桂麦團治 桂一二三 4代目桂文紅 桂綾之助 |
名跡 | 1. 初代桂麦團治 2. 2代目三笑亭小芝 3. 三升家紋兵衛 4. 杉山文山(1921年 - 1949年) 5. 桂麦團治(1921年 - 1949年、文山と併用) 6. 4代目桂文團治(1949年 - 1962年) |
活動期間 | 1894年 - 1962年 |
活動内容 | 上方落語 講談 「霊狐術」 「新粉細工」 |
家族 | 曾我廼家勢蝶(実子) |
所属 | 三友派 |
主な作品 | |
『島巡り』 『三十石』 『鬼あざみ』 『帯久』 『らくだ』 | |
備考 | |
上方落語協会顧問 | |
4代目 桂文團治(1878年8月6日 - 1962年12月14日)は、本名: 水野 音吉。満84歳没。
京都生まれ、水芸一座の後見役、新派の俳優、曾我廼家一座の頭取などを経て噺家になった。1894年5月、2代目桂米團治に入門して桂麦團治を名乗る。次に上方初代三笑亭芝楽の門下で2代目小芝。三升家紋彌の門下で紋兵衛。1921年以降、旅興行などで講談を手がける際は杉山文山(「杉山」は当時の住所の森之宮杉山町から)を、落語家としては再び桂麦團治を名乗る。
1949年ごろ、4代目文團治を襲名(実際には戦中、地方巡業の時などには勝手に文團治を名乗っていた模様。兄弟子である3代目米團治、その弟子4代目米團治とも大きく育った名跡である「米團治」を止め名としたため)。戦後は半ば引退した形であったが、上方落語界の人材が払底する中、橘ノ圓都らと共に長老として再び高座に上がることとなった。
なお上方落語協会が発足すると顧問を務めた。
得意演目は『島巡り』『三十石』『鬼あざみ』『帯久』『らくだ』など、膨大な持ちネタを誇った。若いころは艶噺もやっていたという。また長い演目をコンパクトに纏めて演じるのが得意であった。歴代の桂春團治に『鋳掛屋』を伝え、3代目には『高尾』も稽古付けた。東京の5代目柳家小さんには『帯久』と『らくだ』を稽古付けている。
戦前の高座では、講談のほか、「霊狐術」(一種の超能力を装った手品)や「新粉細工」など、色物としても豊富なレパートリーを誇り、芸の虫であった。
講談をやっていたころは特定の師匠はいなかったが自身が古本屋で速記本を買ってきてはそれで覚えて演じていた、落語の要素を入れたりくすぐりを入れたりして工夫して演じていた。
また、巨躯から「ゴジラ」の愛称で親しまれた。喘息持ちで、死因も喘息による心臓発作であった。天理教の信徒。
なお、朝日放送には、「ABC上方落語をきく会」で収録された音源が多数残されていて、2011年10月にビクターからCD化された。
上方落語を代表する初代桂春團治は同い年で誕生日も2日違い。7代目桂文治の弟子なので、系図上は4代目文團治の叔父弟子にあたる。
弟子
- 2代目桂麦團治
- 4代目桂文紅
- 桂一二三
- 桂綾之助
没時まで唯一現役だった弟子・文紅は、5代目文團治襲名を考えてはいたようだが、「まだ尚早」として結局襲名しないまま亡くなった。
これにともない、4代目文團治の系統は途絶えたが、4代目の兄弟子である3代目桂米團治の系統は現在の上方落語界で最大勢力となっており、文紅没後、文團治ゆかりの名である米團治の名跡を、3代目米團治の曾孫弟子である5代目米團治が、同じく文團治系の塩鯛の名跡を3代目米團治の玄孫弟子である4代目塩鯛が襲名している。
- ^ 享年69は、数え年による。生年月日不明のため満年齢不詳。
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