東武モハ5300形電車 形式再編後の変遷

東武モハ5300形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/04 02:42 UTC 版)

形式再編後の変遷

本形式は前述のように近距離運用を主眼として設計されたものであったが、前述6300系や78系などの4扉車体の大型通勤形車両の増備に伴って中長距離運用にも充当され、32系・54系に属する各形式と何ら区別なく混用された[13]

1960年(昭和35年)6月にクハ423・424の2両に対して前面貫通扉新設ならびに運転台の左側への移設が施工された。これは前述東上線におけるモハ・クハ固定編成化の一環として実施された改造であり、出場後の同2両はモハ5450形5455・5456とそれぞれ固定編成化された[5][13][14]

1962年(昭和37年)4月から同年5月にかけて、モハ5430形5431 - 5434を対象に運転台補強工事が施工された。同時に前面貫通扉の新設および運転台の左側への移設が実施され、モハ5200形ならびにクハ423・424と同等の仕様に変化した。また、同4両に対しては車内設備改善工事も同時に施工され、車内照明が蛍光灯化されたほか、車内放送装置・扇風機が新設された[13][15]

その他、全車を対象に車体塗装のベージュ地に裾部と窓周りがオレンジの一般色への塗装変更、編成の長大化に伴う制動装置への中継弁付加・ARE自動空気ブレーキ化、電動車のパンタグラフの東洋電機製造PT-41系への換装、前面窓固定支持のHゴム化等が順次施工された。また、保安装置(東武形ATS)整備に関連して、本形式においても多くの車両が運転室の機器撤去を行い事実上中間車化されたが、特にモハ5430形は全車が機器撤去の対象となり、晩年は先頭車としての運用が不可能となっていた[13]

1960年代後半に至り、32系の3000系への車体更新や54系の車内設備改善が進む中、モハ5200形5201 - 5203のみは旧態依然とした設備のまま存置されていた[13]。性能的には54系に属する同形式は更新時期までまだ間があったことから、1966年(昭和41年)12月に車内照明の蛍光灯化や車内放送装置・扇風機の新設といった前述モハ5430形同様の改善工事が施工された。また、同形式においては老朽化が進行した外板の張替えも実施され、腰板下端部が車体裾部まで下ろされたことによって台枠が隠されたことが外観上の特徴となった。なお、同工事はモハ5201 - 5203の編成相手であったクハ550形560 - 562に対しても施工された[13]

後継形式の増備に伴って、本形式もまた他の旧型車各形式の例に漏れることなく、晩年は野田線および館林地区のローカル運用に充当された。その後、32系の3000系への更新進捗に伴って本形式の32系グループ(モハ3200形・3260形)も更新対象となり、野田線における運用中に踏切事故に遭遇し大破したモハ3260形3263が1965年(昭和40年)2月に車体更新された[7][13][14]ことを皮切りに順次更新が進捗し、1969年(昭和44年)までに全車の更新が完了した[7][13]。さらに1971年(昭和46年)以降、54系グループ(モハ5200形・5430形)の3050系への更新も開始され[7][13]、本形式中最も手を加えられたモハ5200形のうちモハ5201・5202が最後まで残存したものの、同2両についても1973年(昭和48年)に更新が実施された[7]

モハ5200形の形式消滅をもって東武における運輸省規格形車両は全廃となった[要出典]


注釈

  1. ^ 同要項に基いて新製された車両群を総称して「運輸省規格形」と称する。
  2. ^ 本形式導入の前年には、20m4扉車体を持つ通勤形車両である国鉄63系割り当て車(東武6300系)が入線している。
  3. ^ 入籍直前に改番が実施されたことから、書類上は当初よりモハ5300形・クハ330形として新製・竣功したという扱いが取られている。
  4. ^ また、同10両については運輸省規格形として新製割り当てを受けて製造されたものではないことから、運輸省規格形車両の範疇には含めないとする資料(『鉄道ピクトリアル 第570(1993年1月)号』 p.89)も存在する。
  5. ^ a b c 木造中型客車のサハ化改造車
  6. ^ a b 木造雑形客車のサハ化改造車
  7. ^ 昭和2 - 4年系前期合造車型
  8. ^ a b 昭和2 - 4年系後期普通車型
  9. ^ a b 昭和2 - 4年系前期普通車型
  10. ^ これらUF12台枠は国鉄における戦災被災車両からの発生品であることから、本形式を広義の戦災復旧車両であるとする資料(『鉄道ピクトリアル 第171(1965年6月)号』 p.35)も存在する。
  11. ^ 鉄道省工作局車輛課 編『車輌形式図 客車下巻 大正14年版』掲載図面より。
  12. ^ 東武における従来の駅ホーム高は920mmもしくは760mmに設定されていた。一方6300系の床面高は1,200mmであり、ホーム高760mmの駅が存在する区間への運用に充当することは困難であることから、東武においては同系列入線を機会に全駅のホーム高を国鉄における大都市電車区間に存在する駅と同一の1,100mmにかさ上げする改良工事を順次施工した。同工事は1950年代中盤に完了し、以降従来車に設置されていた客用扉ステップについても順次撤去された。
  13. ^ TDK-528系主電動機における528/5-F以降の機種は、一部の例外を除いていずれも定格出力112.5kW(端子電圧750V時)を公称するが、東武においては定格出力110kW(同)の主電動機として取り扱われた。
  14. ^ 換装対象となったモハ5440形は計5両であり、本形式の改造数と一致しない。不足分の手当てについては不明である。
  15. ^ a b 豊電業US-531・東洋電機製造ES-530ともE.E.社の国内ライセンス製品であり、基本仕様は同一であった。
  16. ^ 当時モハ3200形の空番は3206 - 3209の4両分しかなく、3210はモハ3210形のトップナンバーとして既に使用されていたことによる。

出典






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