日本金属製造情報通信労働組合 前身となった団体

日本金属製造情報通信労働組合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 06:12 UTC 版)

前身となった団体

全日本金属情報機器労働組合

  • 略称:全日本金属・JMIU、英語:All Japan Metal and Information Machinary Workers Union

金属機械・電機・鉄鋼・自動車などの金属関連、コンピュータやソフトなど情報機器関連産業の労働者で構成。個人加盟制の産業別単一労働組合。1989年結成。

全国金属労働組合(全国金属、1950年結成)は日本労働組合総評議会(総評)に加盟し日本社会党を支持政党としていたが、社会党支持に反対する日本共産党系の勢力を反主流派として抱えていた。1980年代の労働戦線統一問題をめぐって主流派と反主流派の対立が深まり、同盟系の組合に接近して全民労協への参加を図る主流派の路線を反主流派は「右傾化」と批判した。1982年8~9月に開かれた全国金属第50回定期大会では両派が激突し、役員選挙では決選投票が行われて主流派が主な役員を占めるにいたった[8]。反主流派は、同年12月19日に「右翼労戦不参加、金属機械労組連絡会」(金属機械労組連絡会、金属連絡会とも)を結成し左派の結成を図った。全国連絡会会長は中里忠仁(全国金属前副委員長)、事務局長は生井宇平(全国金属中央委員)[9]

全民労協が右派を結集する連合(全日本民間労働組合連合会、全民労連)へと発展することが決定的になるなか、金属機械労組連絡会は、1987年8月5日の常任幹事会で、「金属機械産業における連合反対勢力の結集をめざす方針」を決め、「「連合」はあまりにも同盟的で」「反共・労資協調・選別の露骨さは、とうてい職場の理解を得ることは不可能である」と主張し、連合加盟の凍結、左派の結集、総評の解体反対と総評労働運動のすぐれた面の継承などを全国金属の加盟組合に呼びかけた[10]。8月末に開かれた全国金属第60回定期大会は、主流派が連合への参加を提案して賛成191、反対47、白票1で可決されるにいたった。それでも反対派は約20%を集め、金属労組連絡会系に加えて社会党や無党派の左派系代議員が一致して行動し、大会の会場入り口では全国金属1300支部のうち320支部連名での反対ビラがまかれた[11]

1988年8~9月の全国金属第62回定期大会では、同盟傘下の全金同盟、新産別傘下の全機金などとの新組織をつくることを決定した。さらに、金属機械労組連絡会に対しては、「もはや一つの組織における意見の相違とはいいがたい。明らかな分裂行動である」とし、「継続して連絡会活動にかかわる支部には全国金属からの離脱を求める」とした。大会では反対派代議員が修正案を提案したが、前年よりも少数で否決された。金属機械労組連絡会は10月に第2回定期総会を開いて全国金属を非難するとともに、社会党や無党派の左派とも連携して新しい組織の結成を目指すこととなった[12]

こうして、1989年2月27日28日の両日、東京千駄ヶ谷の日本青年館において全日本金属情報機器労働組合(JMIU)の結成大会が開かれた。参加したのは293支部の1万2000人で、このうち約1万人が全国金属を脱退した組織であったとみられる。委員長は中里忠仁(連絡会会長)、事務局長は生井宇平(連絡会事務局長)を選出。反連合を打ち出して新たに結成された最初の労働組合として注目された[13]。結成されたJMIUは「たたかうナショナルセンター結成準備会」に加わり、11月の全労連の結成に参加した[14]。また、全労協にも参加したが、ナショナルセンターへの対応の違いから1994年9月末に脱退している[15]。(他方の全国金属は、同年に全機金と組織統合して全国金属機械労働組合(金属機械)となって連合に加わり、1999年にゼンキン連合とも組織統合してJAM(ものづくり産業労働組合)となって今日に至っている。)

結成後、1990年代から2000年代は製造業に厳しい経済状況が続いて、JMIUの組合員数は減り続けるなかで、多くの困難に直面しながら運動を行った。親会社の責任を認めさせた船井電機争議や三立電機争議、臨時社員の賃金是正を訴えた丸子警報器争議、経営再建をめぐる日産自動車争議、工場閉鎖や組合つぶしをめぐる高見沢電機争議、強制転配をめぐる日本NCR争議、倒産した企業の経営再建と職場復帰を勝ち取った池貝争議などを行った。また、非正規雇用の問題にも取り組み、光洋シーリングテクノ、日亜化学工業いすゞ自動車などで運動を展開した[16]

JMIUの中央本部事務所は、東京都北区滝野川3丁目3番1号 ユニオンコーポ3階に置かれた。福利厚生事業としてJMIU中央共済会を運営。機関紙は『金属労働新聞』で、金属機械労組連絡会が発足した1982年から刊行。結成からしばらくは、JMIUの略称のほかに全日本金属という略称も使われており、以前の写真では「全日本金属○○支部」などと書かれた組合旗が映っているものを確認することができる。通信労組との組織統一後は、旧事務所を継承してJMITUの中央本部事務所としている。

通信産業労働組合

  • 略称:通産労・通信労組・TCWU、英語:Telecommunication Workers Union

NTTグループ(旧・日本電信電話公社)の労働者で構成。個人加盟制の産業別単一労働組合。1981年結成。

全国電気通信労働組合(全電通、1950年結成)もまた、総評に加盟して日本社会党を支持政党としながら、一部に社会党支持に反対する勢力を抱えていた。1964年4.17ゼネストでは、一部の組合員を日本共産党のスト反対声明に同調して全電通の方針に反した行動をしたとして統制処分を下した。こうした経緯から、全電通より除名・脱退した近畿通信局管内の組合員が、1981年4月26日通信産業労働組合(通産労または通信労組、当初170名)を結成。労働戦線統一問題をめぐって同盟系の組合に接近して全民労協との協調を図る政治路線を「右傾化」と批判して、左派の統一戦線促進労働組合懇談会(統一労組懇)との連帯を強化する方針をとった[17]

その後、通産労は他地域にも組織を拡大し、多数派である全電通に対する批判勢力を築いた。1989年に全労連が結成されるとこれに加盟。(他方の全電通は、民間主導による労働戦線の統一を進める役割を果たし、連合が結成されると山岸章を初代委員長に送り込んだ。)

通産労の中央本部事務所は、東京都世田谷区松原3丁目41の15 NTT松沢別館に置かれた。福利厚生事業としては通信産業労働組合共済会(通信労組共済)を運営。機関紙は『通信労組』を発行。JMIUとの組織統一後は、JMITU通信産業本部として旧事務所を継承し、全国に28の都道府県支部に約500名を組織している。また、「通信労組組合歌」(作詞:市野みのる、作曲:高平つぐゆき)が存在する。


注釈

  1. ^ 本記事では「日本金属製造情報通信労働組合」を記事名とし、記事内では実質的な名称として使われているJMITUを用いる。
    組合規約によれば、「第1条 この組合は、JMITU(以下、組合という)という。/2 この組合の日本語表記は日本金属製造情報通信労働組合といい、英語表記はJapan Metal, Manufacturing, Information and Telecommunication Workers' Unionという」とされ、JMITUを第一番目の名称として掲げている(日本金属製造情報通信産業労働組合(JMITU)綱領・規約、2020年2月19日閲覧)。また、国税庁の法人登録においてもJMITUを名称としている。一方で、厚生労働省の「労働組合調査」や上部団体である全労連HPでは「日本金属製造情報通信産業労働組合(JMITU)」とされており、日本語表記を正式名称として扱っている。

出典

  1. ^ JMIU日産自動車支部
  2. ^ JMITU日本アイビーエム支部
  3. ^ JMITU規約(2018年5月20日閲覧)
  4. ^ JMITU結成宣言
  5. ^ a b 「JMITUを結成 JMIUと通信労組が統一」(『しんぶん赤旗』2016年2月2日付)
  6. ^ 第240回金属反合共同行動&JMIU中央行動(2018年5月20日閲覧)
  7. ^ はぐるまNo.20(2018年5月20日閲覧)
  8. ^ 「主要労組の大会」、法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑 第54集』(労働旬報社、1984年)、p.220
  9. ^ 「産業別組織の動向」、『日本労働年鑑 第54集』(1984年)、p.196
  10. ^ 「総評左派、反主流派の方針」、『日本労働年鑑 第58集』(1988年)、pp.61-62
  11. ^ 「主な単産の大会」、『日本労働年鑑 第58集』(1988年)、p.260
  12. ^ 「単産などの動向」、『日本労働年鑑 第59集』(1989年)、p.209
  13. ^ 「産業別組織の動向」、『日本労働年鑑 第60集』(1990年)、pp.197-198
  14. ^ 「全労連、全労協の結成」、『日本労働年鑑 第60集』(1990年)、p.192
  15. ^ 大原社研_大原クロニカ JMIU(全日本金属情報機器労働組合)
  16. ^ JMIUの活動紹介(2018年5月20日閲覧)
  17. ^ 「産業別組織の動向」、『日本労働年鑑 第53集』(1983年)、p.198
  18. ^ JMIU紹介(2018年5月20日閲覧)
  19. ^ JMITUは第4回定期大会を伊東で開催(2018年9月1日閲覧)
  20. ^ JMITUは第6回定期大会を伊東で開催(2018年9月1日閲覧)
  21. ^ 要求実現と組織拡大に全力、9条改憲阻止へ(2020年2月19日閲覧)


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