攻城戦 攻城戦の手法

攻城戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 07:39 UTC 版)

攻城戦の手法

包囲

相手の数倍の戦力をもって、城を包囲し外界との接触を遮断する。これにより水や食料、その他の備蓄軍需物資の枯渇を図ると共に、情報を遮断することにより正確な状況判断を困難にさせ、絶望感を与え士気の低下を期待する。河川をせき止める「水攻め」、補給を絶つことにより生活をままならなくする「兵糧攻め」などの手法もある。

攻撃側の損耗は最小で済み、ほぼ確実に落とせる戦法であるが、なんといっても長期戦になり、篭城側と同様に攻城側も食料補給が求められ、兵士の士気の維持や伝染病の発生にも留意する必要がある。攻撃側は城内からの奇襲という戦闘前面への備えだけでなく、敵軍に援軍があれば襲撃や逆に包囲されたりもするので、周囲警戒など背後への備えも求められる。千早城の戦い独ソ戦第二次世界大戦)におけるレニングラード包囲戦のように、戦局全体の変動により包囲を解かざるを得なくなる事態も発生しうる。また包囲といっても戦力の制限や地形的条件によっては完全に行うことは難しく、レニングラード包囲戦では命の道ロシア語版英語版と呼ばれる氷上の補給路を使ってわずかに補給を保つことができた。

一般に、飲料水の確保や食料などの備蓄量によって守備側の篭城可能な期間が決まる[注 2]。守備側に豊富な食糧が蓄えられていると落城は容易ではないので、事前に商人を城周辺に遣わして米穀類を買い占めさせたり、付近の農民等に乱暴狼藉等を行い城内に追い込む事も行なわれた。篭城戦では戦闘による死傷者や破壊は避けられるが、守備側では、通常の戦闘では死ぬ事の無い子供や老人など多数の餓死者を出し、死人の肉を喰らうなど悲惨な状況が生じることがあり、その面では人道的な戦法ではない。

大規模な包囲戦はガリア戦争におけるアレシアの戦い1885年スーダンハルツーム包囲戦が代表的である。日本では「兵糧攻め」と呼ぶことが多い。豊臣秀吉が得意とし、三木合戦鳥取城の戦い備中高松城の戦い小田原征伐などで行った。特に兵糧が早々に尽きた鳥取城の戦いは鳥取城の飢え殺しとして400年以上経った今でも語り継がれるほど悲惨な状況に陥った。

近代以降では、軍用機ミサイルの発達により、包囲で籠城側の逃げ道を断った上で、空襲などにより逃げ場のない籠城側に一方的に損害を与えることもある。最近の例としては、市街地を土堤で封鎖した上で空爆を加えたファルージャの戦闘などがある。

開城交渉

適当な条件を示したり、脅したりしながら、開城の条件を交渉する。互いの状況は正確には判らないために駆け引きがあり、守備側にとっては早く開城すれば寛大な措置を受け、最後まで抵抗すれば略奪や虐殺されるという囚人のジレンマを感じることになる。日本では「調略」とも言う。

中世から近世欧州では、武装解除なしで退去・明け渡しの慣習があり、将の名誉とされた。これはキリスト教の下に「誓い」が重視された文化で発生し得た合意である。予め一定期間内に援軍が来ない場合、開城して良いと領主から指示があることも多かった。

強攻

城壁をよじ登る、梯子、雲梯をかける、攻城塔で接近するなどして城内に入りこみ、守備塔を占拠したり城門を開くことを試みる。

攻城側の兵士が城内に侵入できても、守備兵の錬度や士気が高い場合や、城内部にさらに守備の工夫(通路の複雑化など)が施されている場合、攻城側の損害は大きくなる。コンスタンティノープル攻略、山中城攻城など。

城の破壊

南フランス・プロバンス地方、レ・ボー城塞のトレビュシェット

城は城壁を備え、城への侵入を困難にしている。そのため、攻撃側は強攻に先立だって、敵城の堀を埋め、城壁や城門に突破口を作り、主軍の進入路の確保する必要がある。

  • 破城槌投石機大砲攻城砲)で城門や塔、城壁などを破壊する。
  • 移動小舎を接近させてを埋めたり攻撃のための足場を築く。
  • 坑道戦として、城壁直下に穴やトンネルを掘って壁の自重による崩壊を誘う。後には土塁等へ火薬による直接的な破壊を行う。
  • 火矢や榴弾などで火をつける。

城兵の損傷

防備の人員を殺傷して減らすことでの防御力の低下を図る。

  • 弓兵や投石兵、バリスタで、城壁上や城内の敵兵を攻撃し城兵の損傷を増やす。
  • 汚物や腐乱した死体を投げ込んで、伝染病を流行らす。
  • 挑発するなどして敵軍を城外に誘き寄せ、野戦に持ち込む。ヒッティーンの戦いが有名。

内応

利で誘ったり、真偽を問わず「当てにしている援軍は来ない」の情報を流すなどして内部での対立を発生させ、それを利用して敵兵に内応させる。 仮に内応に至らなくとも、敵兵の戦意を低下させる効果が狙える。

奇襲

城が防御準備をしていない段階で素早く攻撃し城内に入り込む。特に中世欧州の城や城壁都市は平時に多くの人の出入りがあるため奇襲は有効だった。

奇策、撹乱

抜け道や内応者を使って少数の兵が城内に入り、撹乱したり城門を開く。ギリシャ神話に登場するトロイアの木馬など。


注釈

  1. ^ 百年戦争時のイングランド軍が取った戦法が例である。
  2. ^ 17世紀オスマン帝国によるウィーン包囲では、都市生活者の排便による悪臭が酷かったという。
  3. ^ テストゥド、Testudoはラテン語で「亀」を意味し、移動式の小屋である。ローマ軍の歩兵の防御隊形の名前でもある。

出典

  1. ^ 「楠木正成」『新版 日本架空伝承人名事典』平凡社、2012年。ISBN 9784582126440 
  2. ^ マーチン・ファン・クレフェルト著 佐藤佐三郎訳 『補給戦』 中公文庫 2006年5月25日初版発行 ISBN 4122046904
  3. ^ Hoskin 2006, p. 105.
  4. ^ 古代軍隊吃甚麼:幾乎没有肉 常殺人做肉干





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