市営基町高層アパート
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建築後の問題と改修
塩害問題
1982年(昭和57年)頃より、駐車場でひび割れした壁面から雨漏りが発生[54]。石灰分を含む水で、所により鍾乳石のような物が発生[54]。1986年(昭和61年)には新聞記事で取り上げられるほどになった[54]。
その後原因が、海砂利を使ったことや、酸性雨がひび割れ部に浸透したことにより、本来アルカリ性であるべきコンクリートが中性になったことで、鉄筋が錆びたり、コンクリートが劣化した塩害であることが判明[55][注釈 14]。1986年(昭和61年)より4年間・約40億円を掛けて、改修工事を行った[55]。特殊な溶剤を使い、コンクリートをアルカリ性に戻し、壁面に塗料などを使い膜で保護[55]。壁面を塗装し直した[55]。そのような大規模工事は、日本初で建設省も工法などに注目した[55]。
アクリル製バルコニー側面板による延焼問題
1996年(平成8年)10月28日午後、18号棟9階より火災が発生[57][58]。消火のためはしご車のほか、ヘリコプターも動員したが[57][58]、ベランダ伝いに延焼し、最上階の20階まで延焼し、28戸が焼失した[57][58]。
1980年(昭和55年)や1985年(昭和60年)にも同様の火災が発生し、アクリル板の延焼の危険性は指摘されていたが放置されていた[59]。建築当時の建築基準で求められていなかった、スプリンクラー設備の不備も指摘された[60]。最終的に延焼原因として、ベランダのアクリル板も原因の一つとされた[61]。1998年(平成10年)より、約24億円を掛け、アルミ製の板と交換した[61]。延焼問題について、消防庁により検証され報告された[62]。
住宅水準向上による手狭化および住民の高齢化
設計時点より、部屋割りの可変性はある程度確保されてきたが[16]、部屋が狭いために子供が早期に独立することで親世代のみが残り、住民の高齢化と一人暮らし老人が増加[29]する問題が発生している[29]。1999年(平成11年)の改修方針で、2戸を1戸にする、部屋の面積拡大案が出された[63]。報道当初、面積拡大による、賃料アップの懸念も出た[63]。その後、改修工事を行い、概ね評価されている[39]。
アパート内商店のシャッター通り化
権利者店舗が入店した「基町ショッピングセンター」がシャッター通り化する問題が発生している[41]。店主の高齢化も合わせ、2012年(平成24年)4月1日現在、空き屋率が約25%に達している[64]。
その他の問題
防犯問題により後年、屋上庭園の出入り口は施錠され、自由に出入りできなくなった[29]。
注釈
- ^ 新建築社『新建築 建築ガイドブック 1864-1993』 218ページ、日経BP社『建築家が選んだ名建築ガイド』118ページなど。両書籍とも、2006年(平成18年)に重要文化財に指定された広島平和記念資料館(新建築・217ページ、名建築・118ページ)・世界平和記念聖堂(新建築・218ページ、名建築・106,118ページ)も、掲載されている。
- ^ 丸善『第二版 コンパクト建築設計資料集成』150ページなど
- ^ 終戦直前時には、名称変更され『広島第二陸軍病院』になっていた[9]
- ^ 70.48ha、1946年11月1日 戦告237号[12]
- ^ 1956年に、広島市中央公園の敷地を16ha縮小することが決定している[23]
- ^ 1955年に当選した、渡辺忠雄広島市長は、「平和大通り(百米道路)にアパートを建てる」公約で当選したが、道路担当者などの意見などで頓挫していた[24]
- ^ 付け替えられた道路は、現在祇園新道の一部になり、道路下をアストラムラインが通っている
- ^ 坂出人工土地でも同様に、人工地盤を採用している[43]
- ^ その後、共用通路は、建蔽率に編入しないようになり、階段部がバリアフリーの障害になることより、日本では一般的にはなっていない。
- ^ ヒロシマアリーナ。スケート場とボウリング場を併設した施設。2003年に閉店し[50]、2013年現在山陽マルナカが出店している
- ^ 広電バス西白島車庫。2013年現在も祇園新道で敷地を縮小しつつも、継続利用されている
- ^ 保育所・児童館は計画当初はアパート屋上に計画されたが、計画変更により地平施設に変更された[52]
- ^ 建設前から区域内に存在した物で、アパート建設に合わせて再配置された。
- ^ 建設当時、コンクリート業界内での塩分に対する認識は薄く、国による通達が出たのは1977年(昭和52年)、数値規制されたのは1986年(昭和61年)だった[56]
出典
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- ^ 原爆復興表す住宅取り壊しへ - 47news 2011年9月28日
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