奈良岡朋子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/23 13:10 UTC 版)
交友関係
奈良岡は宇野重吉、杉村春子、石原裕次郎、美空ひばりの故人4人の名を挙げ、生前にメッセージを残していた[8][9][10]。
新たな旅が始まりました。旅好きの私のことです、未知の世界への旅⽴ちは何やら⼼が弾みます。向こうへ着いたらすぐに宇野さん(宇野重吉)を訪ねます。もう⼀度あの厳しい演出を受けたいと⻑い間願ってきました。でもね、宇野さん、私はあなたよりずっと⻑く⽣きて経験を積んできましたからね、昔のデコ(奈良岡の愛称)じゃないですよ。「デコ、お前ちっとましになったな」と⾔われたくてこれまで頑張ってきたんですから。腕が鳴ります。 杉村先⽣(杉村春子)とももう⼀度同じ舞台を踏みたかった。どんな役でもいいからご⼀緒したい。ワクワクします。 両親に挨拶するのは⼆、三本舞台をやって少し落ち着いてからにします。それからは裕ちゃん(石原裕次郎)や和枝さん(美空ひばり)と思いっきり遊びます。これが別れではないですよ。いつかはまたお会いできますからね。
それでは⼀⾜お先に失礼します。皆さまはどうぞごゆっくり…—奈良岡朋子
きっぷのよさから多くの芸能人に慕われ、交友関係が広かった[4][11]。石原裕次郎は「最も尊敬していた女優」として大先輩の奈良岡を挙げ[11]、藤堂俊介係長(ボス)役で出演していた石原が勇退した後の『太陽にほえろ!PART2』で篁朝子係長(ボス)役として出演し、共演もしている(192話「2・8・5・6・3」等)。ほか、木曜スペシャル枠で放送された『石原軍団INハワイ』にも石原軍団と同一待遇で出演している。
宇野重吉に鍛えられ、滝沢修と文学座の杉村春子を師と仰いだ[4]。杉村とは1974年の舞台共演や『おんなの家』シリーズでの共演が縁となり、生涯にわたって実妹のようにとても可愛がってもらった。奈良岡は「杉村先生は文学座、私は劇団民藝と別の劇団でありながら、文学座の方たちに申し訳ないと思うくらい手取り足取り教えていただきました」と述べている[11][12]。杉村の生前時には「私のことは春ちゃんと呼んでいいのよ」とよく言われていたが、「恐れ多くも杉村先生に対してそのようなことは言えなかった」と語っていた[出典無効]。
美空ひばりとは美空の母公認の仲であり、愛称の「御嬢」ではなく、敬称を付けずに本名の「和枝」と呼べた唯一の大親友であった[11]。プライベートでも特に親交が深かったそうで、岸本加世子をひばりに引き合わせたのが太地喜和子と奈良岡である。1986年にTBS系(中部日本放送制作)のトーク番組だった『すばらしき仲間』の対談収録後に、奈良岡の自宅へ太地と岸本が訪問して、飲食前にサイドボードにひばりの千社札を貼った焼酎を見つけた太地が奈良岡に「御嬢へ連絡して今から会えないって誘ってみようよ」と話し、奈良岡がひばりの自宅に電話をかけて呼び出した後に、奈良岡と太地の元へ訪れたのがきっかけだった。その後、奈良岡と二人でひばりの楽屋へ訪問して交流が始まると、ひばりは岸本に『お姉ちゃん』と呼ばせて実妹のように亡くなるまで可愛がっていた。岸本自身も「ひばりさんには奈良岡さんの自宅で初めてお会いした日からお亡くなりになるまでの3年間の間、個人的に気に入られて大変可愛がっていただいた」とNHKのひばり特集の番組内や2023年7月のmagacolインタビューなどでたびたび語っている。
奈良岡とひばりが親友になったきっかけは、ひばりの出演番組に奈良岡がナレーションで参加後、ひばりの元へ花束を持って駆けつけたところ、お互い初対面だったがひばりが奈良岡の自宅へ今から訪問したいと言い出し、奈良岡が了承して当日の深夜まで自宅で飲食を楽しんだのが始まりだった。「泊まりたい」とひばりが言った後に「今日は帰宅しなさい」と奈良岡が注意して帰宅後の翌日にひばりの母親がお礼の電話をかけてきた会話内で「御嬢があなたのことを非常に気に入ったそうで御嬢を注意してくれる人も周りにはいないので、是非とも友達になってもらえないか。」と言われたが、奈良岡は「天下の美空ひばりとではなく一個人の加藤和枝とならお付き合いします。」との返事がきっかけとなりその後ひばりが亡くなるまで長年の交流になった[11]。
見込んだ相手と本音で付き合うことから広がり、八千草薫、池内淳子、草笛光子とはプライベートで「女の会」というグループを結成[11]。若尾文子、加藤治子、赤木春恵、乙羽信子、麻生美代子、山岡久乃、森光子との親交も深かった[11]。NHK連続テレビ小説『水色の時』で共演した大竹しのぶは実の娘のように接した[11]。
田宮二郎は実姉のように慕っており、自殺の際に奈良岡宛てに遺書を残している。
黒柳徹子ともデビュー時より長期間親交が深く[11]、定期的に『徹子の部屋』にも出演しているほか、父の作品を進呈したこともある。奈良岡が没した2023年7月31日放送分の『徹子の部屋』には劇団民藝の後輩の日色ともゑが出演し、先述の生前メッセージを朗読するなど奈良岡を追悼した[13]。
注釈
- ^ ノンクレジット。
出典
- ^ 「演劇界」『現代日本新人物事典 : 大臣からファッション・モデルまで 1956年度版』近代社、1955年、450頁。
- ^ 『新劇便覧』テアトロ、1965年、296頁。
- ^ a b 「奈良岡朋子さんが死去、93歳…劇団民芸代表・新劇界を代表する演技派」『讀賣新聞オンライン』、2023年3月29日。2023年3月29日閲覧。
- ^ a b c d e “評伝・奈良岡朋子さん 生涯独身、晩年は戦争を語り継ぐ”. 産経ニュース (産業経済新聞社). (2023–03–29). オリジナルの2023年3月29日時点におけるアーカイブ。 2023年3月30日閲覧。
- ^ a b 日外アソシエーツ現代人物情報(利用には会員登録が必要)[要文献特定詳細情報]
- ^ “女優の奈良岡朋子さん死去 93歳、知的な演技派”. 産経ニュース (2023年3月29日). 2023年4月20日閲覧。
- ^ 竹内正年『日本映画人名辞典 女優編<下巻>』、株式会社キネマ旬報社、1995年、302頁。
- ^ a b “訃報:劇団代表の奈良岡朋子が逝去致しました”. 劇団民藝 (2023–03–29). 2023年3月29日閲覧。
- ^ “俳優の奈良岡朋子さん死去 93歳 ドラマや映画などで活躍”. 首都圏 NEWS WEB (日本放送協会). (2023–03–29). オリジナルの2023年3月29日時点におけるアーカイブ。 2023年3月29日閲覧。
- ^ “「宇野さん、昔のデコじゃないですよ」「杉村先生とももう一度…」奈良岡朋子さん生前メッセージ”. 読売新聞 (読売新聞社). (2023–03–29). オリジナルの2023年3月29日時点におけるアーカイブ。 2023年3月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “奈良岡朋子さん、広い交友関係 黒澤監督、裕次郎さん、ひばりさん…大御所・スターに可愛がられ慕われ”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2023–03–30) 2023年3月30日閲覧。
- ^ “杉村春子 「女優は岡惚れしてなきゃ」 100周年記念企画「100年の100人」”. 文藝春秋デジタル (文藝春秋). (2021–12–27) 2023年3月30日閲覧。
- ^ “名優・奈良岡朋子さんが死後に公表するため遺したメッセージ。感動的な内容に黒柳徹子も感服”. テレ朝POST. (2023年7月30日) 2023年8月1日閲覧。
- ^ “大賞は片岡仁左衛門が受賞 「第23回読売演劇大賞」が発表に”. シアターガイド (2016年2月4日). 2023年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月5日閲覧。
- ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 91, 「『怪談』作品解説/俳優名鑑」
- ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 538, 「主要特撮作品配役リスト」
- ^ “松たか子が沢田研二の恋人役、「土を喰らう十二ヵ月」追加キャスト発表”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2022年2月17日) 2022年2月17日閲覧。
- ^ 白い墓標の影に - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
- ^ “櫂”. NHK. 2021年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月7日閲覧。
- ^ “「ラヴ・レターズ」岡本健一&奈良岡朋子が11年ぶりに登場、溝口琢矢&仙名彩世ペアも”. ステージナタリー. 株式会社ナターシャ (2021年12月24日). 2021年12月24日閲覧。
- ^ 日本演劇協会 編『年刊ラジオドラマ 第3集』《第3集》宝文館、1955年、298頁。
- ^ “遠野物語をゆく〜柳田國男の風景〜第1部”. NHK (2021年11月23日). 2021年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月28日閲覧。
- ^ “遠野物語をゆく〜柳田國男の風景〜第2部”. NHK (2021年11月30日). 2021年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月28日閲覧。
- ^ "ドキュメンタリー「奈良岡朋子 〜俳優、75年の旅」放送決定のお知らせ". NHK. 2023年4月20日. 2023年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月5日閲覧。
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