国鉄スハ43系客車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/25 06:24 UTC 版)
改造車
自重軽量車の形式変更
スハ43形からオハ46形への編入
スハ43 374以降のうち重量が軽く「オ」級に収まる車両をオハ46形に形式変更したグループで、1956年(昭和31年)に160両(オハ46 374 - 398・494 - 553・599 - 628・654 - 698)が編入された。もともとスハ43形として製造されているため、外観上はスハ43形と全く同じである。
1965年(昭和40年)から1967年(昭和42年)にかけて9両が緩急設備を取り付けオハフ45形200番台に改造され、1978年(昭和53年)から1982年(昭和57年)の間に9両がスユニ50形に改造された。
スハフ42形は、元々スハ43形よりも自重が重く、計量しなおしても「オ」級になるものが存在しなかったため、スハフ42形からオハフ45形に編入された車両はない[注 9]。
台車振り替え改造車
オハ47形0番台
戦前製車両の台枠を活用してオハネ17形やオシ16形を製作することになったが、台車は種車のTR23形とスハ43形のTR17形を振り替えることになり、台車交換により軽量化されたオハ47形が1961年に登場した[35]。
0番台はスハ43形を種車として改造されたグループで、1961年(昭和36年)から1969年(昭和44年)にかけて盛岡、土崎、新津、大宮、長野、名古屋、松任、高砂、幡生、多度津、そして小倉の各国鉄工場で合計328両(オハ47 1 - 328、電気暖房付き車両は基本番号+2000)が改造された。オハネ17形またはオシ16形への改造(または電気暖房化、冷房化に伴うス級重量増加)に際して、種車の台車とスハ43形のTR47を交換、発生品のTR23をスハ43に装着してス級からオ級に軽量化されたものである。これは寝台車の居住性対策だけでなく、急行用二等座席車(当時)の車重軽減による列車の連結両数増大を企図した措置でもあり、このため約700両製造されたスハ43の半数近くが、乗り心地悪化の難を押してオハ47に改造される結果となった。
TR23形台車は、そのままでは心皿面高さの低いスハ43に装着できないため[注 10][36]、心皿と側受部を改造してTR23F、またはさらに円筒コロ軸受に改造したTR23Hを装着している。オハ47 164・オハ47 2168・オハ47 175・オハ47 2200・オハ47 2323の5両はTR34を装着するオハネ17形などと台車を交換したため、コロ軸受のTR34を装着している。
1966年(昭和41年)に4両がオハネ17形の電気暖房化に伴って再度TR47に台車交換したため元のスハ43形に復元され、さらに1973年(昭和48年)から1978年(昭和53年)にかけて北海道向けとして8両がオハ47形500番台に改造され、1978年(昭和53年)に1両が緩急設備を取り付けオハフ46形500番台に改造された。
オハニ40形
1962年(昭和37年)にはスハニ35形2両(スハニ35 2・3)がオシ16形改造の際、改造種車のTR23とTR47の振り替え対象となり、背摺りを木製で垂直のものに交換して、オハニ40形(同一番号)となった。これらを含めてスハニ35形は全車、1965年(昭和40年)以降荷物車であるマニ35形・マニ36形や教習車オヤ33形に改造され、1970年(昭和45年)までに消滅している。
食堂車の改造車
カシ36形
電化設備を備えた食堂車マシ36形は、冷房装置改良による重量増加に伴ってカシ36形に改称された[37]。その後は電化設備の不調により石炭レンジや氷式冷蔵庫に戻されることになり、マシ35形の続番となるマシ35 11・12に改称されている[23]。
冷房化改造車
マロ55形
スロ54形の冷房化にあたり、先行試作として床下冷房装置を取り付け重量増加となり"ス"級から"マ"級となった一等車で、1964年(昭和39年)に小倉工場で2両が改造された(番号はスロ54形時代の番号を踏襲)。改造では20系客車と同じAU21Cユニットクーラーと4DQ-11Pディーゼル発電機を床下に取り付け、ナロ20形と同様に座席部分の床下を100 mmかさ上げして冷風ダクトを設けた。
1965年(昭和40年)に台車をスロ43形のTR23Dと交換して軽量化しスロ54形に再編入されたため、わずか1年で形式消滅となった。
スロ54形の冷房化
スハ43系としては唯一、冷房取付改造の対象形式となったため、1964年(昭和39年)に2両が先行試作として床下冷房装置を取り付けマロ55形となった。残りの45両については、1966年(昭和41年)と1967年(昭和42年)に低屋根化して屋根上にAU13Aユニットクーラーを5台取り付け(電源は4DQ形ディーゼル発電機式)、重量増加を抑えるために台車をスハネ30形やスロ43形などのTR23DまたはTR23Eと交換した。
床下冷房装置を取り付けた2両のマロ55形についてもスロ43形のTR23Eと振り替えて軽量化されたため、1965年(昭和40年)にスロ54形に再編入された。
一等車(旧二等車)の緩急車化改造車
スロフ51形
スロ51形を緩急車化改造した一等緩急車(のちのグリーン緩急車)で、1966年(昭和41年)と1967年(昭和42年)に大船、高砂、小倉の各国鉄工場で8両改造された。改造では専務車掌室に車掌弁を取り付け、出入台に手ブレーキを取り付けた程度である(6両は緩急車化改造と同時に電気暖房化も行われた)。改造後の番号はスロ51形時代の番号を踏襲したため飛番となっている。
1970年(昭和45年)に3両がオハフ41形に改造され、1970年(昭和45年)と1971年(昭和46年)に2両がオハ41形500番台に改造、さらに1972年(昭和47年)に1両が保健車のスヤ52形に改造された。残る2両はそのまま廃車となり、形式消滅した。
スロフ52形
スロ51に緩急設備を取り付け、さらに北海道向け改造を行った一等緩急車(のちのグリーン緩急車)で、1966年(昭和41年)に五稜郭工場で2両が改造された。改造では車掌弁と手ブレーキを取り付け、北海道向けに客窓の二重窓化等の耐寒改造を施工しており、台車のベルト式発電機は歯車駆動方式の車軸発電機に変更している。改造後の番号はスロ51形時代の番号と一致しない。
1971年(昭和46年)に1両が保健車のスヤ52形に改造され、残りの1両も同年に廃車となり、形式消滅した。
スロフ53形
スロ53形は1961年(昭和36年)から1964年(昭和39年)にかけて全車が緩急車化され、スロフ53形となった。本形式も冷房化改造を実施されなかったため、ロングシート化されてオハ41形・オハフ41形に、郵便車・荷物車に改造されてマニ37形・スユニ61形になったものがあるが、改造されなかったものは1975年(昭和50年)までに廃車されて形式消滅となった。
二等車(旧三等車)の緩急車化改造車
スハフ42形400番台
1965年(昭和40年)から翌1966年(昭和41年)にかけてスハ43形基本番台を緩急車改造して登場したもので、乗降デッキの内側に車掌室があることで、スハフ42新造車と区別できる。スハフ42 2401 - 2404の4両が改造された。4両とも電気暖房付きのため、車番は原番号に2000を足した番号である。
北海道向けのスハフ42形500番台に改造されたものが1両(スハフ42 519)ある。
スハフ43形10番台
1960年(昭和35年)から1961年(昭和36年)にかけてスハ44形14両(スハ44 9 - 22)が緩急車に改造され、スハフ43形10番台(スハフ43 11 - 24)となった。車掌室が0番台は出入口の外側にあるのに対して、10番台は出入口の内側にあるのが特徴である。
オハフ46形0番台
オハ47形0番台(旧スハ43形)を種車として改造されたグループで、1965年(昭和40年)から1974年(昭和49年)にかけて大宮、長野、後藤、そして小倉の各国鉄工場でオハフ46 1 - 30(電気暖房付き車両は基本番号+2000)の30両が改造された。台車はスハ43形時代にTR47を他形式に供出しているため、TR23形台車の心皿、側受を改造したTR23F、またはさらに円筒コロ軸受に改造したTR23Hとなっている。
1973年(昭和48年)から1977年(昭和52年)にかけて北海道向けとして5両がオハフ46形500番台に改造された。
オハフ45形100番台
オハフ45形100番台(オハフ45 101 - 111、電気暖房付き車両は基本番号+2000)はオハ46形の基本番台に車掌室を追設し、緩急車に改造した車両である。種車の関係で車掌室は乗降デッキの内側に設けられている。
オハフ45形200番台
オハフ45形200番台(オハフ45 201 - 209、電気暖房付き車両は基本番号+2000)はオハ46形のうち、スハ43形から編入した車両を緩急車化改造した車両である。種車の関係で車掌室は乗降デッキの内側に設けられている。
スハフ44形100番台
スハ45形に車掌室と緩急設備を取り付けスハフ44形に編入したグループで、1972年(昭和47年)に五稜郭工場で5両(スハフ44 101 - 105)改造された。前位側の座席1ボックス分を撤去して車掌室が設けられたため、出入台はスハフ44形0番台と異なり車体両端にある。
北海道向け改造車
スロ52形(編入車)
スロ52形は北海道用として1952年に8両が新製されたが、1952年(昭和27年)から1966年(昭和41年)にかけて北海道に転属したスロ51形8両についても旭川工場と五稜郭工場で同様な設備に改造されたため、スロ52 9 - 18として編入されている。なお、新たにスロ51から編入された8両は、最初に改造された8両とは車軸発電機の取付位置が異なる。
1968年(昭和43年)と1969年(昭和44年)に新製・改造車含む14両が全ロングシート車のオハ41形400番台に格下げ改造、1969年(昭和44年)に3両が保健車のスヤ52形に改造され、残る1両も同年に廃車となり、形式消滅した。
スロ54形500番台
北海道向けに改造されたグループで、1968年(昭和43年)と1969年(昭和44年)に五稜郭工場で、1952年(昭和27年)から1953年(昭和28年)にかけて製造された0番台車から11両が改造された。北海道向けに客窓の二重窓化等の耐寒改造が施工されており、台車はベルト式発電機から歯車駆動方式の車軸発電機に変更された。
14系500番台が道内の客車急行に投入されたため、1982年(昭和57年)11月のダイヤ改正で運用を外れ、翌1983年(昭和58年)に残存車すべてが廃車された。
スハ43形700番台
北海道向けに改造されたグループで、1973年(昭和48年)から1977年(昭和52年)にかけて旭川車両センターと五稜郭車両センターで17両(スハ43 701 - 717)改造された。改造では北海道向けに客窓の二重窓化等の耐寒改造が施工されており、台車はベルト式発電機から歯車駆動方式の車軸発電機に変更されている。
1973年(昭和48年)から1976年(昭和51年)の間に改造された11両は当初スハ43 501 - 511という車号であったが、オハ46に改番されずに残った500番台の車両と重複区分になっていたため、1976年(昭和51年)に改めてスハ43 701 - 711に改番された。1978年(昭和53年)に2両が緩急設備を取り付けスハフ42形500番台に改造され、1981年(昭和56年)に1両が保健車スヤ42に改造された。
スハフ42形500番台
スハフ42形の北海道向け改造車の番台であるが、種車が数車種ある。内訳として、スハフ42形0番台から改造されたものが19両(スハフ42 501 - 518・520)、スハフ42形400番台から改造されたものが1両(スハフ42 519)、スハ43形700番台から改造されたものが2両(スハフ42 521・スハフ42 522)、スハ42形の北海道向け改造車から改造されたものが1両(スハフ42 523)となっている。基本的にはスハフ42形の他番台と見た目は変わらないが、スハフ42 523は種車がオハ35形の最終製作グループと同一車体のスハ42形であったため、他の43系客車と異なりオハ35形と同様の妻面に後退角が付いた半切妻になっており、台車もTR40を装着していた。スハフ42 522は、オハ47形からスハ43形に復元された車両が種車である。なお、釧網本線で運用されていたスハフ42 520 - 523は、車掌室部分の窓に住宅用の引き違い式アルミサッシを使用していた。
オハ47形500番台
オハ47形0番台を種車として北海道向けに改造されたグループで、1973年(昭和48年)から1978年(昭和53年)にかけて旭川車両センターと五稜郭車両センターで8両(オハ47 501 - 508)が改造された。改造では北海道向けに客窓の二重窓化等の耐寒改造が施工されており、台車はベルト式発電機から歯車駆動方式の車軸発電機に変更されている。1978年(昭和53年)に1両が緩急設備を取り付けオハフ46形500番台に改造された。
オハフ46形500番台
オハフ46形0番台・オハ47形を種車として北海道向けに改造されたグループで、1973年(昭和48年)から1978年(昭和53年)にかけて旭川車両センターと五稜郭車両センターで8両(オハフ46 501 - 507)が改造された。
改造では北海道向けに客窓の二重窓化等の耐寒改造が施工されており、台車はベルト式発電機から歯車駆動方式の車軸発電機に変更されている。オハフ46形0番台(旧オハ47形0番台←スハ43形)を改造したオハフ46 501 - 505、オハ47形0番台(旧スハ43形)を改造したオハフ46 506、オハ47形500番台(旧オハ47形0番台←スハ43形)を改造したオハフ46 507の3タイプが存在する。
スハフ42形も、スハ43形と同様に台車交換を行いオハフ47形とする計画があったが、急行寝台列車の格上げによる特急寝台列車への移行が急速に進展しオハネ17形の製造が打ち切られたため、これは実現しなかった。
イベント用改造車
スハシ44形
「C62ニセコ号」での運用のため、スハフ44 2を種車として1987年度に改造された[38]。内部は従来のシートから小テーブル付きのクロスシートに変更された上、カウンターが設置されている。
C62ニセコ号の運行終了により、他のスハフ44とともに廃車となったが、JR北海道のSLすずらん号運行のため、苗穂工場に運び込まれ再改造、再整備が行われ新たにだるまストーブが追加された。落成後すぐはSLすずらん号で運用されていたが、運行終了により、現在はSL冬の湿原号に使用されている。
オハシ47形
平成12年にSLニセコ号用にオハ47 2239を改造したカフェカー。オハシ47 2001に改番されている。ドア集中鎖錠装置を搭載し、乗降ドアを半自動化(電磁石により固定されたすべてのドアを磁力解放時にクローザーの引力を利用して閉めた状態でスイッチ操作によりロックを行う)改造された。
車内にはカフェカウンターのみならずアップライトピアノが設置されていた。SLニセコ号の運行終了後は旭川運転所内に保管されていたが、令和4年にトレーラーで苗穂工場に搬入された後、令和5年に除籍された。
注釈
- ^ 本形式に限らず、10系以前の客車は三等車(普通車)に関してはデッキを有するクロスシートで製造され、独立した便所と洗面所も備える。戦災復旧車とオハニ63形(のちのオハニ36形)以外の鋼体化改造車を除いて長距離優等列車への投入が優先されていた。
- ^ 買い出し列車やラッシュアワーのすし詰め状態となる通勤電車(TR23系台車は電車の付随車にも使用された)を除けば、平常ではあり得ない過大荷重である。
- ^ 社内呼称FS-1、のちのDT14。
- ^ 板ばね同士が重なる箇所の摩擦(板間摩擦)を減らすことで、微小荷重域からばねがよく動くようになり、乗り心地が改善する。
- ^ 旧形客車改造の軽量寝台車オハネ17形制作時には、乗り心地改善のために大量に捻出転用され(この結果、新形式のオハ47形・オハフ46形が出現した)、さらに、はるか後年のオリエント急行日本運行(1988年)に際しては、搭載車の自重が「マ」級以上となることからばね定数の変更を実施し、オリエント急行用客車の日本国内運行用台車に流用された。
- ^ 1960年代以降、近代化改造工事に併せて20 Wの環形蛍光灯に交換されている。
- ^ 現代の車両では乳白色のものが採用されている。
- ^ 4両すべてが保存・再利用されている。
- ^ スハフ42の初期ロットであるスハフ42 18をスハ42→オハ36と同等のメニューで改造したオハフ33 630は存在する。
- ^ スロ51 - 54などの優等車形式は台枠の井桁構造(特に中梁部分)が戦前型に近い高さ250 mm形鋼で構成されるのに対し、スハ43など三等車グループでは車端衝撃に対する強度引き上げのため高さ200 mm形鋼の中梁の上に100 mm高の横梁を載せる形に変わっている。結果台枠の全体高さは50 mm増の300 mmとなるが、客車の床面高さは同じため、心皿面を50 mm引き下げている。
- ^ サンタ・マチルジ工業製の一部車両は木造客車の鋼体化により誕生している。このほかにもブラジルにおいては木造客車の鋼体化が多く行われ、意図したものではないものの、その多くは日本国鉄の43系や60系客車と類似した外観となった。
- ^ 日本国鉄の「並ロ」に類似した仕様である。
- ^ ほぼ時を同じくして同様の車両がヨーロッパ数か国のメーカにも発注されており、二等車と三等車については日本製車両とほぼ同じ仕様を持つが、新製一等車の発注はそちらにのみ行われた。
出典
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- ^ 『国鉄車両一覧 昭和61年11月1日現在』日本交通公社出版事業局、1987年1月、206頁。ISBN 4-533-00752-X。同書によれば「形式40番代は戦後に製造された特急・急行用の客車」と説明している。
- ^ 寺本光照『さよなら急行列車』JTBパブリッシング〈キャンブックス〉、2016年2月、88頁。ISBN 978-4-533-10882-2。
- ^ 『戦後日本の鉄道車両』 p. 88
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- ^ 『鉄道ファン』第413号、交友社、1995年9月、50頁。
- ^ 『Rail Magazine』Vol. 336、ネコ・パブリッシング、2011年9月、9頁。
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- ^ 「鉄道ジャーナル」1987年10月号 走りはじめたトラストトレイン p.114
- ^ 津軽鉄道オハ31 随時アップ:消えた車輌写真館(鉄道ホビダス)、2007年10月22日(2024年2月16日閲覧)
- ^ 「平成〜令和の旧形客車」『鉄道ピクトリアル』2021年7月号、p.113
- ^ ブラジル都市鉄道公社マセイオ局 (2021年2月20日). “Uma nova plataforma de embarque acaba de entrar em funcionamento na Estação Utinga.”. Facebook. 2021年5月7日閲覧。
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- ^ a b 「鉄道車両を店舗に 小樽のイタリアン「トレノ」3日閉店 37年の歴史に幕」『北海道新聞』、2021年11月3日。2022年3月3日閲覧。
- ^ 「真岡駅「SLキューロク館」がオープン」『『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース』、2013年4月29日。2013年9月10日閲覧。
- ^ 「スハフ44 25が真岡駅構内に到着」『『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース』、2012年7月11日。2022年3月3日閲覧。
- ^ 越後中里の旧型客車群
- ^ 全国保存客車リスト2 越後中里駅前スキー場
- ^ 『鉄道ファン』、交友社、2012年7月、[要ページ番号]。
- ^ a b 『鉄道ファン』通巻457号、交友社、1999年5月、118 - 119頁。
- ^ 『鉄道ファン』通巻441号、交友社、1998年1月、112頁。
固有名詞の分類
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西日本旅客鉄道の客車 |
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北海道旅客鉄道の客車 |
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東海旅客鉄道の客車 |
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