占守島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/15 12:49 UTC 版)
占守島 | |
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所在地 |
帰属未定 ( ロシアが実効支配) |
所在海域 | オホーツク海 |
座標 | 北緯50度44分00秒 東経156度19分00秒 / 北緯50.73333度 東経156.31667度 |
面積 | 388[1][注釈 1] km² |
最高標高 | 189 m |
プロジェクト 地形 |
現在の島民は灯台守だけで民間人はいない。また島への上陸はロシア国境軍の許可が必要で、ペトロパブロフスク・カムチャツキーからヘリコプターで約2時間かかる。
地理
南西から北東へ約 30 キロメートル、幅は最大で 20 キロメートルの大きさで、全体的に楕円形の島である。北東のカムチャツカ半島のロパトカ岬とは占守海峡(ロシア名:第1クリル海峡 Первый Курильский пр.)で、西の幌筵島とは幌筵海峡(波羅茂知海峡、ロシア名:第2クリル海峡 Второй Курильский пр.)で隔てられている。
島の北側の一部は砂浜。砂浜以外はほとんど崖で多くの岩礁がある。海抜 200 メートルくらいの緩やかな丘陵が続き、沼地と草原で覆われている。草原にはかつて日本人の住居があった。しかし、現在は何も残っていない。島を流れる別飛川(べっとぶがわ)では、カラフトマスが遡上することがある。
高台にある四嶺山(しれいさん、標高 171 メートル)には、戦時中に旧日本軍の守備隊の本部が置かれていた。現在では、戦車、砲台、戦闘機、飛行場、格納庫、トーチカなどの残骸や廃墟が残る。また、ロシアは小さいながらも軍事施設を設置している。
オホーツク海と太平洋に囲まれ、夏季でも摂氏 15 度くらいで濃霧が覆う。冬季はマイナス 15 度の極寒の上に猛吹雪に襲われることが多い。2013年現在、ロシア名バイコーヴァ (Байково、日本名:片岡) という集落があり、灯台守と家族の4人が定住するのみである。
島名の由来
元禄御国絵図にある地名「しいもし」や鳥居龍蔵の記録にある「シュモチ」はこの島に当たるとされる。
島の名前の由来には様々な説がある。したがって、アイヌ研究家の山田秀三は「判断がつかない地名」としている。
- アイヌ語の「シュム・ウシ(南西・<そこに>ある→南西に存在する、或いは南西に入る)」からとする説
- この島の語源を「シー・モシリ(本島)」とし新知島の語源を「シュム・シリ(西島)」とする説
- 占守島を「シュム・シュ(油・鍋)」とし新知島を「シュム・ウシ(南西にある、入る)」とする説
注釈
出典
- ^ “International Kuril Island Project(IKIP、国際千島調査、英文)”. University of Washington Fish Collection or the respective authors. 2009年7月27日閲覧。
- ^ ソニーを創った男 2002, p. 25-26.
- ^ a b 高瀬克範, 鈴木建治「馬場コレクションの再検討 : 北千島の竪穴住居・土器・石器の基礎的研究」『北海道大学文学研究科紀要』第140号、北海道大学大学院文学研究科、2013年、1-56頁、ISSN 1346-0277、NAID 120005301705。
- ^ 馬揚脩「北千島占守島の第二回考古學的調査報告」『人類學雜誌』第51巻第3号、日本人類学会、1936年、91-115頁、doi:10.1537/ase1911.51.91、ISSN 0003-5505、NAID 130003881906。
- ^ 2016年8月7日 北海道新聞1面
- ^ 占守島で日本人慰霊祭 12年ぶり、民間団体主催産経新聞フォト(2017年7月19日)2017年7月20日閲覧
占守島と同じ種類の言葉
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