北海道拓殖銀行
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旧北海道拓殖銀行本店[注釈 1] | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | 拓銀、北拓 |
本社所在地 |
日本 〒060-0042 北海道札幌市中央区大通西3丁目7番地 |
設立 | 1900年(明治33年)4月1日 |
業種 | 銀行業 |
金融機関コード | 0012 |
SWIFTコード | HTAKJPJT |
事業内容 | 銀行 |
代表者 | 河谷禎昌(頭取) |
資本金 | 1,237億円 |
従業員数 | 2,950名 |
外部リンク | 北海道拓殖銀行 - ウェイバックマシン |
特記事項:1997年11月17日に経営破綻し、倒産。基礎情報および経営指標は全て同年11月時点のもの。 |
北海道拓殖銀行のデータ | |
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英名 | Hokkaido Takushoku Bank |
統一金融機関コード | 0012 |
SWIFTコード | HTAKJPJT |
店舗数 |
195店 (道内132店、道外63店) |
貸出金残高 | 5兆9,838億円 |
預金残高 | 5兆9,006億円 |
特記事項: 経営指標は、全て1997年(平成9年)11月17日時点での数値。 2006年(平成18年)2月6日に法人格抹消。 |
注釈
- ^ 拓銀破綻後は北洋大通ビルとして使われ、2007年に解体。
- ^ みずほ銀行は合併時のシステム統合で決断を先延ばしし続けた結果、ATM障害をたびたび引き起こしている。この影響で2006年(平成18年)1月の三菱東京UFJ銀行(現・三菱UFJ銀行)の発足の際には、みずほでの障害事件の再来を懸念した金融庁の指導により、合併が当初より3か月延長されることになった。
- ^ 2001年、空知商工信用組合に営業譲渡。
- ^ 2002年、北央信用組合に営業譲渡。
- ^ 2002年、小樽信用金庫に営業譲渡。
- ^ 2002年、釧路信用組合に営業譲渡。
- ^ 道央・長万部・岩内・夕張・古平の各信用金庫。
- ^ その後98年6月23日に日本野球連盟が解散を公示している[12]。
- ^ 北海道地盤のスキージャンプチームのひとつにかつて地崎工業があったが、この地崎工業も拓銀の破綻を受けて業績が低迷、チームを解散せざるを得ない事態となった。地崎工業はその後再建に失敗し吸収合併されている(現・岩田地崎建設)
出典
- ^ a b c “新千歳市史通史編下巻 第6編部門史 第3章商業・金融”. p. 317. 2023年2月7日閲覧。
- ^ 似鳥昭雄「私の履歴書(22) 北海道全域へ」『日本経済新聞』2015年4月22日。
- ^ 服部泰彦「拓銀の経営破綻とコーポレート・ガバナンス」『立命館経営学』(立命館大学)2003年1月
- ^ “「銀座ジュエリーマキ」の三貴、破綻 高級品需要が急落”. asahi.com (朝日新聞社). (2009年1月21日). オリジナルの2009年1月22日時点におけるアーカイブ。 2009年1月21日閲覧。
- ^ 渋谷駅周辺の主な所有物件
- ^ “拓銀元頭取ら実刑確定へ 特別背任事件で最高裁”. 47NEWS. 共同通信 (全国新聞ネット). (2009年11月11日)
- ^ “拓銀の元頭取を収監 特別背任罪で実刑確定”. 47NEWS. 共同通信 (全国新聞ネット). (2009年12月7日)
- ^ “山内宏元頭取死去 旧拓銀事件で特別背任罪”. どうしんウェブ (北海道新聞社). (2011年11月29日). オリジナルの2011年12月1日時点におけるアーカイブ。
- ^ “旧経営陣の賠償101億円 拓銀破たんで確定”. 47NEWS. 共同通信 (全国新聞ネット). (2008年1月28日)
- ^ 秦 2001, 725頁.
- ^ a b c d たくぎん魂次世代へ 経営破綻から25年 野球部元選手ら指導者に 粘り強さ教えたい - 北海道新聞2022年11月17日朝刊
- ^ 平成10年度加盟チームの推移(archive.org、1999年10月8日) - “アーカイブされたコピー”. 2003年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月28日閲覧。
- ^ サザエ食品(株)の道内事業承継について(2015年7月11日閲覧)
- ^ サザエ食品|ごあいさつ(2015年7月11日閲覧)
固有名詞の分類
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