剣戟映画 日本

剣戟映画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/03 14:52 UTC 版)

日本

日本における剣戟映画は、俗に「ちゃんばら映画」とも呼ばれる。その始まりは、時代劇映画の始まりと同時、1908年(明治41年)9月17日に公開された中村福之助嵐璃徳主演のサイレント映画『本能寺合戦』である。同作を製作・興行した京都の横田商会は、当時まだ撮影所をもっておらず、寺の境内で嵐扮する森蘭丸の剣戟シーンを撮影している[9]。牧野は、1910年(明治43年)には尾上松之助主演の『忠臣蔵』を製作しているが、松之助は、横田商会が合併して日活になり、1927年(昭和2年)までの間に1,000本近い時代劇映画に主演、その多くが剣戟映画であった。

1921年(大正10年)に発足させた牧野教育映画製作所で製作、牧野が監督した『実録忠臣蔵』が、1922年(大正11年)5月27日、横浜の大正活映の協力で東京の有楽座で公開される。同作は、歌舞伎の影響下にあった従来の演出を脱し、リアリティを追求した作品であった。同上映を鑑賞した寿々喜多呂九平が京都入りして牧野教育映画に入社、前年11月に獏与太平(のちの古海卓二)、二川文太郎内田吐夢井上金太郎江川宇礼雄渡辺篤岡田時彦鈴木すみ子らが大正活映から同社に移籍[10]、1923年(大正12年)4月には、国際活映から環歌子を引き抜いた際に、環が国活の大部屋俳優だった阪東妻三郎を牧野に推挙した[11]

同社は、同年6月にマキノ映画製作所に改組され、同年、寿々喜多呂九平脚本、阪東妻三郎が初主演した剣戟映画『鮮血の手型』前篇・後篇がヒット、阪東は一躍剣戟スターとなる。1924年(大正13年)、寿々喜多はダグラス・フェアバンクス主演の『奇傑ゾロ』(監督フレッド・ニブロ、1920年)を翻案したシナリオ『快傑鷹』を執筆、二川文太郎が監督し高木新平主演で映画化、高木は「鳥人」と呼ばれる。1925年(大正14年)6月にはマキノ映画製作所がマキノ・プロダクションとなり、阪東が独立し、阪東妻三郎プロダクションを設立した。同年、寿々喜多脚本、二川文太郎監督、阪東妻三郎主演、阪東妻三郎プロダクション製作、マキノ・プロダクション配給による剣戟映画『雄呂血』が製作・公開された。同作は、米国の日本映画専門館でも上映され、ジョセフ・フォン・スタンバーグは同作のなかで何百人が斬られるかを数えたという逸話がある[12]。同時期、沢田正二郎の新国劇の演劇題目『月形半平太』、『国定忠治』が大ヒットし、沢田らが歌舞伎から導入した「剣劇」は剣戟映画に大きな影響を与えた[4]

1927年(昭和2年)、当時のマキノスターである片岡千恵蔵嵐寛寿郎月形龍之介らが独立する。1928年(昭和3年)、牧野の長男のマキノ正博監督、山上伊太郎脚本、無名の俳優である南光明谷崎十郎ら主演の『浪人街』がヒットする。1929年(昭和4年)3月、牧野監督、山上伊太郎・西条照太郎脚本の『忠魂義烈 実録忠臣蔵』を一部消失しながらも完成、7月に牧野が死去した。ダグラス・フェアバンクスは1929年、1931年(昭和6年)と来日し、マキノ・プロダクションを訪問、牧野や嵐寛寿郎らと交流している。

剣戟映画の全盛期において、阪東妻三郎は「剣戟王」と呼ばれ[13]、阪東のほか、嵐寛寿郎、市川右太衛門大河内傳次郎、片岡千恵蔵、月形龍之介、林長二郎(のちの長谷川一夫)を「七剣聖」と呼んだ[14]

1934年(昭和9年)、マキノ正博が開発したトーキー技術を使用し、嵐寛寿郎プロダクションは、曽根千晴監督、嵐寛寿郎主演により剣戟映画『鞍馬天狗』をトーキーリメイク、1935年(昭和10年)11月には、マキノ正博がマキノトーキー製作所を設立、剣戟映画もトーキーの時代となる。同社は1938年(昭和13年)春には解散、マキノを含め多くが日活京都撮影所に移籍、日活でも『恋山彦』等[15]のトーキー剣戟を量産した。

一方、サイレントの剣戟映画にこだわる極東映画が同時期に設立され、羅門光三郎市川寿三郎綾小路絃三郎雲井竜之介ら剣戟スターが西宮の甲陽撮影所に集められ、剣戟映画を量産した[16]。同社が現在の羽曳野市に撮影所を移転したときに、羅門らは甲陽撮影所に残留し甲陽映画を設立した[16]。1936年(昭和11年)には、同様にサイレントの剣戟映画を製作する全勝キネマが奈良の市川右太衛門プロダクションあやめ池撮影所跡地に結集[17]、同社では杉山昌三九大河内龍が主演した。

第二次世界大戦後は、大映京都撮影所、1947年(昭和22年)に製作を開始した東横映画、その後身で1951年(昭和26年)に設立された東映京都撮影所で剣戟映画が製作された。

おもな作品 (日本)

おもな剣戟俳優 (日本)


  1. ^ 剣戟デジタル大辞泉コトバンク、2009年10月25日閲覧。
  2. ^ 『クラウン仏和辞典』、三省堂、1981年、p.192.
  3. ^ 時代劇映画百科事典マイペディアコトバンク、2009年10月25日閲覧。
  4. ^ a b 剣劇、百科事典マイペディア、コトバンク、2009年10月25日閲覧。
  5. ^ a b Foster on Film (英語), 2009年10月25日閲覧。
  6. ^ Screen Online (英語), 2009年10月25日閲覧。
  7. ^ Embleton, Gerry. The Medieval Soldier. Windrow and Green, London. ISBN 1859150365
  8. ^ Classical Fencing (英語), 2009年10月25日閲覧。
  9. ^ 『日本映画発達史 I 活動写真時代』、田中純一郎中公文庫、1975年、p.146.
  10. ^ 『日本映画監督全集』、キネマ旬報社、1976年、竹中労執筆「古海卓二」、p.350-362。
  11. ^ 『日本映画俳優全集・女優編』、キネマ旬報、1980年、盛内政志執筆「環歌子」、p.436-437。
  12. ^ 『日本映画監督全集』、岸松雄執筆「二川文太郎」、p.345。
  13. ^ 文藝春秋』第31巻第10号、文藝春秋社、1953年、p.119.
  14. ^ 『時代劇スター七剣聖 チャンバラ黄金時代』、石割平・円尾敏郎、ワイズ出版、 2001年 ISBN 4-89830-067-7
  15. ^ マキノ映画活動史立命館大学衣笠キャンパス、2009年10月26日閲覧。
  16. ^ a b 『チャンバラ王国極東』、赤井祐男・円尾敏郎編、ワイズ出版、1998年 ISBN 4-948735-91-4.
  17. ^ 奈良にゆかりの映画情報 全勝シネマ奈良県、2009年10月26日閲覧。


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