二日市保養所 患者の治療

二日市保養所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/24 05:35 UTC 版)

患者の治療

麻酔薬が不足していたため、麻酔無しの堕胎手術が行われ[26]死者も少なからず出た。

1947年秋の施設閉鎖までに約400件 - 500件の堕胎手術をおこなったと推計される[27][28][29][注 4]

性病の場合はその治療に取組んでいる。また、中絶の場合は、病気や栄養不良等により衰弱している者については既述の通り手術前に数日入院させて体力を回復させてから行っている[18]

国から違法な妊娠中絶の施術を強制された医師はその不本意を述べている[20][注 5]

その後の二日市保養所

保養所跡(現・特別養護老人ホーム むさし苑)にある石碑

二日市保養所は、優生保護法の施行にともない、1947年(昭和22年)頃に閉鎖した。同保養所の主務官庁である引揚援護庁は1954年(昭和29年)まで存続した[21]

その後、同敷地に済生会二日市病院が建てられた(現在病院は南に200m程の場所に移転し、跡地には同じ済生会が運営する老人ホーム「むさし苑」が建てられた)。なお、むさし苑の駐車場の隅には二日市保養所跡の石碑が建てられている[21]

二日市保養所以外の婦人患者の手術・治療

上坪隆の『水子の譜』によれば、女性らは二日市保養所のみに集められたわけでなく、国立福岡療養所、九大、久留米医専の各病院でも手術や治療が行われ、それは当時これらの病院で働いていた医師らの証言で裏付けられているという[18]

二日市保養所以外に九州帝国大学医学部、国立福岡療養所(福岡県古賀市)、九州高等医学専門学校が特殊婦人患者の対応にあたった[33]佐世保港に上陸した満鮮引揚特殊婦人入院患者に対しては陸軍病院中原療養所(佐賀県)が手術・治療にあたった[34]。九大の元医局長によれば、古賀と中原の療養所で中絶された件数は千件を下らないと推定している[1]

下川正晴は、福岡療養所と佐賀の中原療養所の他にも、関東の病院で行われていたとの証言や、また別の国立病院でも行われていた内部資料があることを報告している[1]。当時、引揚港は10港あり[35][36]、松田澄子は厚生省が九州大学のみに中絶の密命を出したとは考えにくいとしている[24]

また、臨月の女性用の病棟が針尾島(佐世保市)にあったという。そこでは分娩直後の子も処分していたとされ、生まれた子を注射で処分していたと聞いたとの話が伝わる[18][10]

婦人健康相談所

婦人相談業務を先発引揚港の舞鶴や函館では既に日本赤十字社で行われていたが、あまりうまく行かず、YMCA理事長を長らくしたことがある援護院総裁斉藤長官が古くからの友人で雑誌「婦人之友」の「全国友の会」会長の羽仁もと子に相談、協力が得られることになったという[18]。佐世保市では、「佐世保友の会」に羽生もと子からの指示にしたがって、会員数名が「佐世保援護局」に行くと、斉藤長官から内意が伝えられていて、婦人相談所の問診員になってくれということであったという。理由としては「外国人など人種の違う者から受けた性病は悪質であるため、今後亡国病となる危険性がある。ために、これを国内に流布せず、水際でとめるために、生活相談とともに婦人相談の形で行う」ということであった[18][10]

佐世保の場合は、中絶が必要な女性らは中原の国立療養所に送られたという[18]。佐世保では15~55歳の引揚女性は全員がそこに来なければならないことになっていて、そこを通らなければ引揚証明書がもらえないことになっていた[18]。二日市保養所の場合も、看護師の吉田ハルヨは、コロ島からの引揚者が来る頃には帰国者は到着すると博多港などでは1日か2日収容され対象者は二日市保養所で処置を受けないと帰郷のための列車にも乗せてもらえない体制が出来上がっていたことを証言している[25]。なお、引揚孤児や子の世話をできない寡婦の子を引き取るために泉らがMRUと同時期に作った孤児院である聖福寮においても、保母の多くを「友の会」を通じて、その志願者から得ている。

上坪隆は性病防止のためであれば陸軍将兵の検査も厳重にすべきで、援護院の出した方針では女性のみを対象にしたことは片手落ちの気がするとしている[18]。藤田繁は、性病予防目的ならば男性も対象とせねばならないはずが、男性は壮年者のみが訊問され調書を取られただけだったことから、実際は性病問題よりも妊娠女性の堕胎目的が主眼で、男性からは中国の情報と本人の思想傾向を調べたのであろうとする[10]

移動医療局

ソウルから釜山にかけての旅程にいる引揚者の治療にあたるため、移動医療局(英名MRU、上坪隆はムービング・リリーフ・ユニオン、下川正晴はメディカル・リリーフ・ユニオンとしている[1])という組織が形成されていた。これを手掛けたのは文化人類学者の泉靖一(元京城帝大法文学部助教授、民族学)と田中正四(元京城帝大医学部助教授、衛生学)で、のちの在外同胞援護会救療部も、一部の資料によれば泉が働きかけて資金援助をとりつけ作り上げたとされる[37][38]。米軍公認の組織だったので、アルファベット表記になったという。

移動医療局は、釜山日本人世話会と共同で検診する女性を対象に1945年12月より被害調査を行い、 1946年3月の調査では、調査対象者885人のうち、レイプ被害者70人、性病罹患患者19人、約1割が性犯罪の被害に遭っているという数字が示された[18]。上坪隆は、これは引揚援護局でも問題になっていたが、援護局の関心は女性への憂慮ではなく、性病からの日本民族防衛であったとする[18]

背景

当時、中絶は堕胎罪に問われる違法行為であった(詳細は「人工妊娠中絶」参照)。

終戦後、満州や朝鮮半島から引揚の途上、ソ連兵士などに強姦されたり(「強姦の歴史#戦時の強姦」を参照。)、外地で生き延びるため、心ならずも売春を行う女性がいた[39]。その結果、妊娠したり、性病に罹ったりしたとしても、必要な措置を取ったり、必要な治療を受けることは困難な状況であった。

当時の看護師、吉田ハルヨはNHK「戦争証言アーカイブス」で中絶手術について証言している[25]

二日市保養所で中絶にあたった看護婦の村石正子は、後の講演で、引揚の途中で女性がソ連兵や現地人から被害に遭った話や妊娠女性が身投げした話を語っている[23]


  1. ^ 聖福寮(孤児院)の山本良健医師か[2]、あるいは人類学者の泉靖一[3]。『水子の譜』では田中外四となっている(1979)P.174。
  2. ^ Watt (2010)では"Seoul Group"と称しているが、医師も「活動家」も含んだグループとする。写真家の飯山達雄が含まれるが、泉靖一の名は出されていない。山本良健医師は含まれている。
  3. ^ 京城帝国大学医学部卒
  4. ^ 『局史』では1946年3月~年末まで(9か月の)の統計として380名中、内訳は不法妊娠218、正常妊娠87、性病35、その他45となっている[30][31]。"性病その他の婦人科疾患の患者数も同じ位あったと推定され"[12]とは一致していない。
  5. ^ 国からの通達というのは、例えば佐賀の場合は 「厚生省(当時)に助教授が招かれ、(中絶手術を行うように)指示があった」という証言がある[32]
  1. ^ a b c d e f g 下川正晴『忘却の引揚げ史』(株)弦書房、2017年8月5日、84-85,85,85,50,89,55,82-83,85頁。 
  2. ^ Watt (2010), pp. 15–16.
  3. ^ 山本 (2015), pp. 81–82.
  4. ^ a b c d e 「戦後…博多港引き揚げ者らの体験:<2> 医師らひそかに中絶手術」、『読売オンライン 九州発』2006年07月27日
  5. ^ 『西日本新聞』1977年8月1日、山本 (2015), pp. 81–82の出典
  6. ^ 上坪 (1979)『水子の譜』、174–176頁。山本 (2015), pp. 81–82およびWatt (2010), pp. 115–116の出典
  7. ^ "外務省の外郭団体「在外同胞援護会」に働きかけ、[京城帝大医学部の医師たちの]グループ全体を「在外同胞援護会救療部」に衣替え"[4]。1946年2月、「聖福病院」という診療所を聖福寺 (福岡市)の地所に開設した。
  8. ^ 博多引揚援護局 (1947)『局史』、該当箇所抜粋
  9. ^ 下川 正晴『忘却の引揚げ史《泉靖一と二日市保養所》』弦書房、2017年7月21日、69頁。 
  10. ^ a b c d e f 藤田繁 編『石川県満蒙開拓史』石川県満蒙開拓者慰霊奉賛会、1982年9月10日、91,87,87,88,87,90,90-91頁。 
  11. ^ 高杉志緒 2010, p. 79.
  12. ^ a b c 中村粲戦争と性-ある終戦処理のこと-」(『正論』1998年5月号所収)、63–64頁
  13. ^ a b c 中村粲戦争と性-ある終戦処理のこと-」(『正論』1998年5月号所収)、62頁
  14. ^ 飯山達雄『遥かなる中国大陸写真集3敗戦・引揚げの慟哭』国書刊行会、昭和54年10月20日発行、145頁。129.帝王切開手術を受ける。
  15. ^ 飯山達雄『遥かなる中国大陸写真集3敗戦・引揚げの慟哭』国書刊行会、昭和54年10月20日発行、146頁。130.不法妊娠の堕胎手術。
  16. ^ Watt (2010), p. 116, note 51
  17. ^ 『西日本新聞』1946年7月17日付に呼びかけ広告。上坪 (1979)『水子の譜』P.181に新聞の原文を掲載。[16]
  18. ^ a b c d e f g h i j k l m 上坪隆『水子の譜』(株)現代史出版会、1979年8月10日、176,177,213-214,214,214,215,215,215,201-202,210-211,181-183,237頁。 
  19. ^ 山本 (2015), p. 79.
  20. ^ a b 山本 (2015), p. 81.
  21. ^ a b c 【戦後75年】秘密の中絶施設、二日市保養所(福岡県筑紫野市)”. 産経新聞社. 2023年2月23日閲覧。
  22. ^ “引揚途中の強姦被害者47人 加害男性の国籍は朝鮮、ソ連など”. SAPIO2015年7月号、NEWSポストセブン. (2015年6月19日). オリジナルの2023年9月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230923002747/https://www.news-postseven.com/archives/20150619_328325.html?DETAIL 2023年9月23日閲覧。 
  23. ^ a b 高杉志緒 2010, p. 80-81.
  24. ^ a b 松田澄子「満洲へ渡った女性たちの役割と性暴力被害」『山形県立米沢女子短期大学附属生活文化研究所報告』第45号、山形県立米沢女子短期大学附属生活文化研究所、2018年3月、26,23、CRID 1050001202927482112ISSN 0386-636XNAID 120006424554 
  25. ^ a b c 「引き揚げ後の中絶手術」”. NHKアーカイブス. NHK. 2023年11月20日閲覧。
  26. ^ 「戦後…博多港引き揚げ者らの体験:<3> 麻酔なしの中絶手術」、『読売オンライン 九州発』2006年08月03日
  27. ^ 山本 (2015), p. 82:「二日市保養所は、1947年秋に閉所になるまでの1年半ほどの間に「四六二名」(千田夏光『皇后の股肱』 1977:81)、「四、五〇〇件」(『朝日新聞』 1995.8.9)の中絶が行われたとされる」
  28. ^ 「帝国日本の戦時性暴力」, p. 36.
  29. ^ 下川正晴「封印された引揚女性の慟哭 「二日市保養所」70年目の記録」(『正論』2016年7月15日所収)
  30. ^ 日置, 英剛『年表太平洋戦争全史』国書刊行会、2005年、780頁https://books.google.com/books?id=G24xAQAAIAAJ 
  31. ^ 木村 (1980), p. 95.
  32. ^ 「戦後…博多港引き揚げ者らの体験:<4>日誌につづられた悲劇」、『読売オンライン 九州発』2006年08月10日
  33. ^ 上坪 (1993)、203頁。
  34. ^ 上坪 (1993)
  35. ^ 舞鶴引揚記念館”. 京都教育大学 高見. 2023年9月29日閲覧。
  36. ^ 舞鶴市の引揚の記録と引揚船の詳細”. 舞鶴散歩人(HN). 2023年9月29日閲覧。
  37. ^ 上坪 (1993), pp. 21: 「活動の中心は文化人類学者の泉靖一氏であった。彼はやがて「在外同胞援護会救療部」という組織を作りあげていく」
  38. ^ 中村粲戦争と性-ある終戦処理のこと-」(『正論』1998年5月号所収)、59頁
  39. ^ 『ソ連兵へ差し出された娘たち』(株)集英社、2022年1月30日、175-177,179頁。 





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「二日市保養所」の関連用語

二日市保養所のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



二日市保養所のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの二日市保養所 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS