二日市保養所 広報

二日市保養所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/16 05:35 UTC 版)

広報

内容が内容だけに、当該女性に対して、この施設の存在をどのようにして広報するかが大きな問題であった。そこで採られたのが、引揚船中でのビラの配布であった。上坪が例にあげたところによれば、「在外同胞援護会救療部派遣医師」名義のチラシで「不法な暴力脅迫により身を傷つけられたり、又はその後、体に異常を感じつつある方には、(略)日本上陸の後、速やかにその憂悶に終止符を打ち、希望の出発点を立てられる為に乗船の船医へ、これまでの経過を内密に忌憚なく打明けられて相談して下さい。知己にも故郷へも知れない様に、診療所へ収容し、健全なる体にする」旨が記されていたとされる[4]。また、すでに引揚が完了し全国に散っていった女性に対しては、有力紙に「本人にはわかるような」婉曲的表現の広告を出し、施設の存在を知らせていた[19]

救療部の記録によれば、5回 - 6回にわたって有名新聞に抽象的な内容で二日市保養所の広告を出したとされるが、上坪隆が調査で見つけ出せたのは1946年7月17日西日本新聞の広告だけであったが、そこには以下のように記載されていた。文案は泉靖一によるという。[20]

(略)一朝にして産を異境に失い生活のため否生存の為あらゆる苦難と戦われた同胞の中、殊にか弱き女性の身を以って一旦の命をだに支える術もなく、遂にはそのゆかしきほこりを捨てて、果てはいまわしき病に罹り、或いは身の異状におぞましき翳をまといて家郷に帰り、親兄弟にも明かされず、まして夫に対しては余りに憚り多く今は身も世もなく暗澹たる憂悶の日々を送っているご婦人も少なくはないと思料されます。こうした不幸なご婦人方を専ら収容して之が救療に最善を尽くし、一日も速く健康を恢復してその新生の前途に光明を与えようと、(略)快適の療養施設を完備して皆様をお待ちしております。

 


  1. ^ 聖福寮(孤児院)の山本良健医師か[2]、あるいは人類学者の泉靖一[3]。『水子の譜』では田中外四となっている(1979)P.174。
  2. ^ Watt (2010)では"Seoul Group"と称しているが、医師も「活動家」も含んだグループとする。写真家の飯山達雄が含まれるが、泉靖一の名は出されていない。山本良健医師は含まれている。
  3. ^ 京城帝国大学医学部卒
  4. ^ 『局史』では1946年3月~年末まで(9か月の)の統計として380名中、内訳は不法妊娠218、正常妊娠87、性病35、その他45となっている[30][31]。"性病その他の婦人科疾患の患者数も同じ位あったと推定され"[12]とは一致していない。
  5. ^ 国からの通達というのは、例えば佐賀の場合は 「厚生省(当時)に助教授が招かれ、(中絶手術を行うように)指示があった」という証言がある[32]
  1. ^ a b c d e f g 下川正晴『忘却の引揚げ史』(株)弦書房、2017年8月5日、84-85,85,85,50,89,55,82-83,85頁。 
  2. ^ Watt (2010), pp. 15–16.
  3. ^ 山本 (2015), pp. 81–82.
  4. ^ a b c d e 「戦後…博多港引き揚げ者らの体験:<2> 医師らひそかに中絶手術」、『読売オンライン 九州発』2006年07月27日
  5. ^ 『西日本新聞』1977年8月1日、山本 (2015), pp. 81–82の出典
  6. ^ 上坪 (1979)『水子の譜』、174–176頁。山本 (2015), pp. 81–82およびWatt (2010), pp. 115–116の出典
  7. ^ "外務省の外郭団体「在外同胞援護会」に働きかけ、[京城帝大医学部の医師たちの]グループ全体を「在外同胞援護会救療部」に衣替え"[4]。1946年2月、「聖福病院」という診療所を聖福寺 (福岡市)の地所に開設した。
  8. ^ 博多引揚援護局 (1947)『局史』、該当箇所抜粋
  9. ^ 下川 正晴『忘却の引揚げ史《泉靖一と二日市保養所》』弦書房、2017年7月21日、69頁。 
  10. ^ a b c d e f 藤田繁 編『石川県満蒙開拓史』石川県満蒙開拓者慰霊奉賛会、1982年9月10日、91,87,87,88,87,90,90-91頁。 
  11. ^ 高杉志緒 2010, p. 79.
  12. ^ a b c 中村粲戦争と性-ある終戦処理のこと-」(『正論』1998年5月号所収)、63–64頁
  13. ^ a b c 中村粲戦争と性-ある終戦処理のこと-」(『正論』1998年5月号所収)、62頁
  14. ^ 飯山達雄『遥かなる中国大陸写真集3敗戦・引揚げの慟哭』国書刊行会、昭和54年10月20日発行、145頁。129.帝王切開手術を受ける。
  15. ^ 飯山達雄『遥かなる中国大陸写真集3敗戦・引揚げの慟哭』国書刊行会、昭和54年10月20日発行、146頁。130.不法妊娠の堕胎手術。
  16. ^ a b c 「引き揚げ後の中絶手術」”. NHKアーカイブス. NHK. 2023年11月20日閲覧。
  17. ^ a b 高杉志緒 2010, p. 80-81.
  18. ^ Watt (2010), p. 116, note 51
  19. ^ 『西日本新聞』1946年7月17日付に呼びかけ広告。上坪 (1979)『水子の譜』P.181に新聞の原文を掲載。[18]
  20. ^ a b c d e f g h i j k l m 上坪隆『水子の譜』(株)現代史出版会、1979年8月10日、176,177,213-214,214,214,215,215,215,201-202,210-211,181-183,237頁。 
  21. ^ 山本 (2015), p. 79.
  22. ^ a b 山本 (2015), p. 81.
  23. ^ a b c 【戦後75年】秘密の中絶施設、二日市保養所(福岡県筑紫野市)”. 産経新聞社. 2023年2月23日閲覧。
  24. ^ “引揚途中の強姦被害者47人 加害男性の国籍は朝鮮、ソ連など”. SAPIO2015年7月号、NEWSポストセブン. (2015年6月19日). オリジナルの2023年9月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230923002747/https://www.news-postseven.com/archives/20150619_328325.html?DETAIL 2023年9月23日閲覧。 
  25. ^ a b 松田澄子「満洲へ渡った女性たちの役割と性暴力被害」『山形県立米沢女子短期大学附属生活文化研究所報告』第45号、山形県立米沢女子短期大学附属生活文化研究所、2018年3月、26,23、CRID 1050001202927482112ISSN 0386-636XNAID 120006424554 
  26. ^ 「戦後…博多港引き揚げ者らの体験:<3> 麻酔なしの中絶手術」、『読売オンライン 九州発』2006年08月03日
  27. ^ 山本 (2015), p. 82:「二日市保養所は、1947年秋に閉所になるまでの1年半ほどの間に「四六二名」(千田夏光『皇后の股肱』 1977:81)、「四、五〇〇件」(『朝日新聞』 1995.8.9)の中絶が行われたとされる」
  28. ^ 「帝国日本の戦時性暴力」, p. 36.
  29. ^ 下川正晴「封印された引揚女性の慟哭 「二日市保養所」70年目の記録」(『正論』2016年7月15日所収)
  30. ^ 日置, 英剛『年表太平洋戦争全史』国書刊行会、2005年、780頁https://books.google.com/books?id=G24xAQAAIAAJ 
  31. ^ 木村 (1980), p. 95.
  32. ^ 「戦後…博多港引き揚げ者らの体験:<4>日誌につづられた悲劇」、『読売オンライン 九州発』2006年08月10日
  33. ^ 上坪 (1993)、203頁。
  34. ^ 上坪 (1993)
  35. ^ 舞鶴引揚記念館”. 京都教育大学 高見. 2023年9月29日閲覧。
  36. ^ 舞鶴市の引揚の記録と引揚船の詳細”. 舞鶴散歩人(HN). 2023年9月29日閲覧。
  37. ^ 上坪 (1993), pp. 21: 「活動の中心は文化人類学者の泉靖一氏であった。彼はやがて「在外同胞援護会救療部」という組織を作りあげていく」
  38. ^ 中村粲戦争と性-ある終戦処理のこと-」(『正論』1998年5月号所収)、59頁
  39. ^ 『ソ連兵へ差し出された娘たち』(株)集英社、2022年1月30日、175-177,179頁。 





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