三柴理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/28 20:33 UTC 版)
三柴 理 | |
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別名 |
江戸蔵 鉄人三柴 三柴江戸蔵 エディ |
生誕 | 1965年1月15日(59歳) |
出身地 | 日本 東京都港区六本木 |
学歴 | 国立音楽大学中退[1] |
ジャンル |
ロック クラシック音楽 |
職業 |
ピアニスト キーボーディスト 作曲家 編曲家 音楽プロデューサー |
担当楽器 |
ピアノ デジタルピアノ シンセサイザー ハモンドオルガン |
活動期間 | 1983年[2] - |
共同作業者 |
THE金鶴 筋肉少女帯 特撮 |
公式サイト | 三柴 理OFFICIAL SITE |
来歴
4歳からピアノをはじめて、安川豊子に師事、9歳から作曲を学び、柏木由紀に師事する[3][2]。青山学院中学、高校を卒業後、国立音楽大学に入学する[2]。
1983年、国立音楽大学在学中にロックバンド「新東京正義乃士」を結成[2]。同バンド解散後の1986年には、ロックバンド筋肉少女帯に「三柴江戸蔵」として加入(「エディ」の愛称はこの「江戸蔵」に由来)。1988年にメジャーデビューを果たすが、翌1989年に脱退する[1](ツアー中はピアノの練習ができない為、というのが理由だった[4])。その後は様々なロック、J-POPアーティストのサウンド・プロデュースを手掛け、映画音楽及びテレビCM音楽にも携わる[1]。
2000年には、前年に筋肉少女帯を脱退した大槻ケンヂらとともにロックバンド特撮を結成[2]。2006年12月に再結成した筋肉少女帯のサポートピアニストとしても活躍している。また、THE金鶴(リーダー:元有頂天のタボこと佐々木貴)のメンバーとして、数々の映像に付随する音楽を制作している。
音楽的特徴と影響
ロックからポップス、クラシックに至るまで、様々なジャンルの音楽を弾き分ける。演奏のスタイルも幅が広く、流麗で繊細なピアニズムを基本としながら、一方で超絶技巧的な激しい表現も得意とする。
指揮者別にクラシックを聴きあさる少年時代を送っており、特に好きな指揮者としてレオポルド・ストコフスキーをあげている[1]。一方で、新東京正義乃士を結成した段階ではロックを全く聞いたことがなく、プログレッシブ・ロックは筋肉少女帯に加入した後に内田雄一郎から教えてもらうまでは知らなかったという[1]。ロックの基礎やシンセサイザーに関しては、有頂天の佐々木TABO貴から教わったと述べている[5]。
機材
ピアノはおもに、ベーゼンドルファーやスタインウェイを使用。ロックバンドのライブにおいて、デジタルピアノはカワイ、シンセサイザーはローランドを使用している。好きな録音技術はフェイズ4録音[1]。
人物
身長180cm超。サングラスに髭面といういかつい風貌とは裏腹に、非常に温和でユーモラスな性格をしている。 高校時代まではクラシック音楽一筋だったが、内田裕也の影響でロックに目覚めることとなる[6]。
インディーズ時代は破天荒な言動が多く、ステージでシンセサイザーをブンブンと振りまわした上にそれを客席に投げ込んだという事例など、枚挙に暇がない[7]。
メジャーデビュー以後はそのような過激なパフォーマンスこそ行わないが、演奏中自分の出番のない際に舞台上をウロウロと練り歩く、客を大袈裟な身振りで煽るなど、滑稽な人柄で観客を沸かせている[8]。
- ^ a b c d e f “Interview”. 2018年10月5日閲覧。
- ^ a b c d e “PROFILE”. 2018年10月5日閲覧。
- ^ NESS×三柴理 アルバム同時発売記念座談会 - ナタリー (2013年5月30日). 2015年11月15日閲覧。
- ^ 『筋肉少女帯自伝』(K&Bパブリッシャーズ)p.315
- ^ “mnavi InterviewVol.30:THE 金鶴”. 2018年10月5日閲覧。
- ^ 『筋肉少女帯自伝』p.298
- ^ 大槻ケンヂ『リンダリンダラバーソール』(新潮文庫)p.27
- ^ 筋肉少女帯のシングル『混ぜるな危険』初回限定盤特典DVD等。
- ^ “SATOSHI MISHIBA FILM&ANIMATION”. 2024年2月26日閲覧。
固有名詞の分類
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