ヴィラ・アルメリコ・カプラ ヴィラ・アルメリコ・カプラの概要

ヴィラ・アルメリコ・カプラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/23 14:36 UTC 版)

1565年、司祭パオロ・アルメリコがローマ教皇庁から引退する際(ピウス4世ピウス5世の秘書を務めていた)、生まれ故郷のヴェネト州ヴィチェンツァに家を建てて移り住むことを決めた。この家が後に「ラ・ロトンダ」と呼ばれ、パッラーディオの傑作のひとつとされるようになった。ヴィラ・カプラは多くの建築に影響を与えたが、このヴィラ自体はローマパンテオンの影響を受けている。

ヴィラ・アルメリコ・カプラ

設計

建設地はヴィチェンツァ郊外の丘の上とされた。パッラーディオ主義の他のヴィラのいくつかとは異なり、この建物は最初から農場用ではない。この洗練された建物は今で言う「郊外住宅 (suburban house)」として設計された。パッラーディオ自身はこれをヴィラではなくパラッツォ(宮殿)に分類している。

パッラーディオの設計図 (I Quattro Libri dell'Architettura 1570)

四方にファサードがある正方形の完全な対称形の建物であり、それぞれのファサードにポルチコがある。建物の四隅と各ポルチコの中心を通るように円を描くと、建物のほぼ全てがその中に納まるようになっている(左の平面図参照)。ラ・ロトンダという名称は中央の円形のホールとその上のドームに由来する。このヴィラ全体を表現するなら、ロタンダ(rotunda = rotonda)は技術的には不正確である。何故ならこの建物は円形ではなく、正方形十字を組み合わせた形だからである。ポルチコの前には階段があり、そこから中に入ると小さな部屋または廊下を通って中央にあるドームつきの円形ホールに出る。全ての部屋の寸法はパッラーディオが『建築四書』 (I Quattro Libri dell'Architettura) に記した建築法則にしたがって精密に計算されている[2]

その設計はルネサンス建築ヒューマニズム的価値観を反映している。各部屋に陽射しが少しでも入るよう、建物の4つの面は東西南北から45度の角度を向いている。4つのポルチコの上にはペディメントがあり、その上に古代の神々の像が配置されている。ペディメントは6本のイオニア式円柱で支えられ、そのポルチコの両側に1つずつ窓がある。主要な部屋は全て2階または主階(ピアノ・ノビーレ)にある。

1567年に着工したが、設計者パッラーディオは1580年に亡くなった。施主であるパオロ・アルメリコも1589年に亡くなり、建築はパッラーディオの後を受け継いだヴィンチェンツォ・スカモッツィが新たな施主の下で完成させた。元々の設計に対してスカモッツィが加えた主な修正は、中央ホールの2階部分である。

内部

スカモッツィが仕事を引き継いだことにより、当初パッラーディオが計画していたものと、現存しているヴィラ・アルメリコ・カプラの間には幾つかの異なる点が存在する。その中でも最も重要なものは、「建築四書」所載のパッラーディオが制作した図面と、スカモッツィによる現存しているヴィラ・アルメリコ・カプラのドームが大きく違っていることである。パッラーディオの計画は、ブラマンテによる聖ペテロの殉教記念堂「テンピエット」の影響を受けており、方形屋根の中央から半球形のドームがのった構成となっている。また、パンテオンとの類似性においても特筆すべき点がいくつかある。ドームの構成に象徴されるように、正方形に円形が組み合わされている点に、ヴィラ・アルメリコ・カプラの抽象度の高さと概念的に重要な意味があるとされる。住宅建築に、神殿や教会で採用されるドームという建築構成が取り入れられている点にパッラーディオの個性が窺える。スカモッツィによる現存している建物のドームは、五段の階段型のピラミッド状の屋根になっている。当初のパッラーディオの計画したドームの特徴とは異なるデザインになっているが、推力などの構造上の観点からすれば、パッラーディオの制作した図面では幾つかの疑問点があるのに対し、スカモッツィの解決は合理的なものになっている。逸話として、当初依頼主であるアルメーリコはパンテオンのような天窓の付いたドームを希望したというものがある。現存の建物のドームの頂上はオルクスとなっており、テンピエット型のものが採用されている。パッラーディオの計画したドームは方形の四隅の処理で不具合な点があるように図面から見受けられ、建設不可能ではないものの、実際にスカッツィに引き継ぐ前に建設していたとしたら、推力の関係で雨漏りしていた可能性が高い。そのため、スカモッツィによって現存ドームに修復されたのではないかという説もある。このようにドームに関して、建設過程における謎が多く、どの段階でどのような変遷を経て、現在のドームに至ったかは諸説あるものの事実はわかっていない。ドームが改造されたことは、内部装飾にも影響を与えている。1581年までに、ルビーニによって制作された中央円形広間内部のストゥッコ装飾が、アレッサンドロ・マガーンツァがフレスコ画に取り替えられたことを意味している。現存するフレスコ画は、ロドヴィーコ・ドリニイ(Lodovico Dorigny, or Louis Dorigny, 1654-1742)によって制作されたものである。

内装

ヴィラの室内装飾の設計は外観ほどではないにしても、非常に見事である。Alessandro Maganza、Giovanni Battista Maganzia、Anselmo Canera が客間のサロンにフレスコ壁画を描いた。

4つのサロンのうち主階にあるのが西のサロン(そのフレスコ画や天井の装飾から Holly Room と呼ばれている)と東のサロンで、最初のオーナーだったパオロ・アルメリコの寓話的な伝記を細密なフレスコ画で描いてある。

室内装飾のハイライトは中央の円形のホールで、2階部分にバルコニーが一周しており、天井はドームになっている。この家の全高まで達する吹き抜けになっていて、頂上にクーポラがあり、壁面はトロンプ・ルイユで装飾されている。豊富なフレスコ画は個人宅の客間というよりも大聖堂を思わせる雰囲気を漂わせている。


  1. ^ a b ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年12月16日閲覧。
  2. ^ A. Palladio, I Quattro Libri dell'Architettura, Venezia (Venice) 1570, libro (book) II, p. 18 (イタリア語)
  3. ^ 1996年、それまで "Vicenza, City of Palladio" と呼ばれていた世界遺産が拡張され "City of Vicenza and the Palladian Villas of the Veneto" と改称された。[1]


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