ローマによるブリタンニア侵攻 (紀元前55年-紀元前54年)
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カエサルによる侵攻前のブリタンニア
ブリタンニアは錫の産地として遥か古代より知られており、前5世紀にはカルタゴの航海者ヒミルコ(en)、前4世紀には古代ギリシア時代のマッシリア(現:マルセイユ)出身の地理学者ピュテアスがそれぞれブリタンニアへ到着し、探検したと伝わっている。
しかし、大海の向こう、古代地中海世界の人間が知り得る世界の外縁部に当たり、ブリタンニアは大きな謎に包まれていた。何人かの著作家は、ブリタンニアは存在さえしないと主張し[4]、ピュテアスの航海自体も全くのデタラメと捉えられていた[5]。
カエサルがブリタンニアへ遠征した時期は鉄器時代であった。島の人口は約100万人と見積もられていた。経済的、考古学的にブリタンニアは低地部分(平野部)と高地部分(山岳部)に分割されていた。
南東の低地部分は、肥沃な広大な土地は耕作に適し、イックニールド・ウェイ(Icknield Way)、ピルグリムス・ウェイ(Pilgrims' Way)、ジュラシック・ウェイ(Jurassic Way)のような街道、そしてタメシス川(現:テムズ川)のような航行可能な河川といった交通網が発達していたので、文化交流も行われていた。
現在のグロスターとリンカンの間に位置する北部の高地部分は、耕作可能地が孤立気味に点在した土地柄で、牧畜も同様であった。また、園地栽培が主たる生計の手段となり、農場も定着より共同で、文化交流もより困難であった。
定住の集落は、一般に高地へ砦を築くことを基本としたが、ブリタンニア南東部(低地部分)では、しばしば、(タメシス川などの)川が交差する低地にオッピドゥムが築かれ始め、重要な交易拠点として機能を果たしつつあった。
大陸(ガリア)との商業的な接触は、前124年にローマがガリア・トランサルピナを征服してから増加し、イタリア製ワインは、アルモリカ部族との交易により入手し、ドーセットのヘンギストブリー(en)へ到着した[6]。
カエサルの元老院への報告書(『ガリア戦記』)によると、ガリア北東部に住むベルガエ人は、初期は略奪のためにブリタンニアへ渡り、その後はブリタンニアの沿岸地帯に勢力を築いていた。スエッシオネス族(en)の王で生ける伝説と言えるディウィキアクスは、ガリアと同じぐらいブリタンニアでも勢力を保っていた、と記されている[7]。
ベルガエ人たちが鋳造した硬貨が入植の困難な様子を示している。ブリタンニアで発見されたガリア・ベルガエの硬貨で最も古いのはガリアで鋳造され、前100年より以前、恐らくは前150年頃と鑑定されており、多くはケント(ラテン語:カンティウム)で発見されている。後に同様の型の硬貨がブリタンニアでも鋳造され、ケントから遥か西、ドーセットに近い南の海岸でほとんど全て発見された。
恐らくは政治的な支配を打ち立てた地元の首領を通して、ベルガエ人の影響力はブリタンニアの遥か西や内陸部にまで広がっていたこと、ベルガエ人の入植地は南東の海岸沿いに集中していたことが、以上のことより覗える[8]。
- ^ カエサル「ガリア戦記」4.20-4.35、5.1、5.8-5.23
- ^ カッシウス・ディオ Historia Romana 39.50-53, 40.1-3
- ^ フロルス Epitome of Roman History 1.45
- ^ a b c プルタルコス「英雄伝」カエサル 23.2
- ^ 例えば、カエサルの時代の少し後に書かれた ストラボン「地理誌」 2:4.1 や ポリュビオス「歴史」34.5(なお、ポリュビオス自身が進めていた大西洋岸までの領土拡張を賛美する狙いもあって、ピュテアスの説を否定したかもしれない、とBarry Cunliffeは「The Extraordinary Voyage of Pytheas the Greek」の中で述べている
- ^ Sheppard Frere, Britannia: a History of Roman Britain, third edition, 1987, pp. 6-9
- ^ カエサル「ガリア戦記」 2.4、 5.12
- ^ Frere, Britannia pp. 9-15
- ^ カエサル「ガリア戦記」 2.4-5、2.12
- ^ カエサル「ガリア戦記」 3.8-9
- ^ ストラボン「地理誌」4:4.1
- ^ カエサル「ガリア戦記」 4.20
- ^ カエサル「ガリア戦記」 4.21
- ^ Frere, Britannia, p. 19
- ^ “Science-Nature Doubt over date for Brit invasion”. BBC News (2008年7月1日). 2008年7月2日閲覧。 See also: “Tide and time: Re-dating Caesar’s invasion of Britain”. Texas State University (2008年6月23日). 2008年7月2日閲覧。
- ^ カエサル「ガリア戦記」 4.23
- ^ a b カエサル「ガリア戦記」 4.30
- ^ "Caesar's Landings", Athena Review 1,1
- ^ カエサル「ガリア戦記」 4.25
- ^ カエサル「ガリア戦記」 4.26
- ^ a b c モムゼン「ローマの歴史」第5章 p.98
- ^ カエサル「ガリア戦記」 4.28
- ^ スエトニウス「皇帝伝」カエサル 25他
- ^ カエサル「ガリア戦記」 4.31-32、4.34
- ^ カエサル「ガリア戦記」 4.35
- ^ カエサル「ガリア戦記」 4.37
- ^ キケロ「友人への手紙」 7.7; 「アッティクスへの手紙」 4.17
- ^ スエトニウス「皇帝伝」カエサル 47. 事実、後にカエサルはウェヌスの神殿でウェヌス像にブリタンニアで獲得した真珠で装飾した胸当てを奉納した(大プリニウス「博物誌」 : IX.116)。そして、カキは後にブリタンニアからローマへ輸出された (プリニウス「博物誌」 IX.169) and Juvenal, Satire IV.141
- ^ キケロ他「友人への手紙」 7.6, 7.7, 7.8, 7.10, 7.17; 「弟クィントゥスへの手紙」 2.13, 2.15, 3.1; 「アッティクスへの手紙」4.15, 4.17, 4.18
- ^ a b c カエサル「ガリア戦記」 5.8
- ^ “Invasion of Britain”. unrv.com. 2009年4月25日閲覧。
- ^ a b Frere, Britannia p. 22
- ^ a b カエサル「ガリア戦記」 5.23
- ^ Cicero, Letters to his brother Quintus 3.1
- ^ 一部の「ガリア戦記」の校訂版に、その王の名として「Inianuvetitius」と付記。國原訳「ガリア戦記」p.200
- ^ カエサル「ガリア戦記」 5.15-17
- ^ Frere, Britannia p. 25
- ^ カエサル「ガリア戦記」 5.22
- ^ キケロ「アッティクスへの手紙」 4.18
- ^ カエサル「ガリア戦記」 7.76他
- ^ ヒルティウス「ガリア戦記」 8.23
- ^ フロンティヌス「戦略論」 2:13.11
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- ^ John Creighton, Coins and power in Late Iron Age Britain, Cambridge University Press, 2000
- ^ カッシウス・ディオ Roman History 60:19-22
- ^ a b c カエサル「ガリア戦記」 5.12
- ^ R.H. Kinvig The Isle of Man. A Social, Cultural and Political History. pp18-19
- ^ カエサル「ガリア戦記」 5.13
- ^ カエサル「ガリア戦記」 6.11-20、「ガリア戦記」の中でカエサルはブリタンニア人をガリア人と同系統の人種と描いている
- ^ カエサル「ガリア戦記」 5.14
- ^ 中倉訳「ガリア戦記」第4巻末
- ^ カエサル「ガリア戦記」 4.33
- ^ カエサル 「内乱記」1.54
- ^ カエサル「ガリア戦記」 6.13
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- ^ a b Homer Nearing Jnr., "The Legend of Julius Caesar's British Conquest", PLMA 64 pp. 889-929, 1949
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