ラテンアメリカのチャイナタウン ラテンアメリカのチャイナタウンの概要

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ラテンアメリカのチャイナタウン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/09 15:29 UTC 版)

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アングロアメリカヨーロッパの中華街と異なり、純血の中華民族移民は少ない。中国移民は中国語北京語広東語など)とスペイン語などの各国公用語を話す。幾つかの中華街は観光用に成立していて、実際のコミュニティーとしての機能は果たしていないところもある。

ブエノスアイレスの Belgrano 地区の中華街が第1世代の台湾移民、北京語話者の移民を含む一方、ハバナキューバの中国移民を何世代にも渡っている。

アルゼンチン共和国

ブエノスアイレスにラテンアメリカ(中南米+メキシコ)最大の中華街がある。近年の多くの本土、台湾、アジア移民に加え、他のラテンアメリカ諸国の中国移民も移住してきた。

参照 : [1]

ブラジル連邦共和国

サンパウロの世界最大の日本人街 リベルダージ(Liberdade) 地区に住む。多くの台湾人移民と、1949年の共産党革命以降本土移民が住む。

香港の広東人、マカオ人ポルトガル語を話す)、マカニーズ(Macanese, 中国人とポルトガル人の子孫)はそれぞれの返還(1997年1999年)以降特に移民が顕著だった。

マカオ移民はポルトガル語に加えクレオール、マカニーズ又はPatuáも話すため、ブラジル移住を容易にした。

多くの中国系インドネシア人は1960年代マレー系インドネシア人による迫害のために難民としてリベルダージ地区に住む。今日中国系ブラジル人は中国語・ポルトガル語を話し、日本人、韓国人などと共に真のアジアコミュニティーとして Liberdade を成す。

コスタリカ共和国

カリブ海沿岸 Limon と首都サンホセに多くの中国人が住む。本土のテレビチャンネル CCTV-4 がサンホセではケーブルテレビで視聴出来る。コスタリカでビジネスを起す台湾人が増えている。

キューバ共和国

キューバへの中国移民は1847年、スペイン人が砂糖畑労働者として広東人を契約労働させたことに始まる。続いて香港、マカオ、台湾から移民が送り込まれ、アフリカ人奴隷に置き換えられた。8年の契約満了後も中国移民はキューバに永住し、現在はハバナなどに散らばる。

共産党革命の成功、フィデル・カストロ1959年の台頭後、多くの中国系キューバ人起業家はアメリカ合衆国に逃亡した。今日ではKwong Wah Poだけが唯一の中国語新聞である。嘗てハバナの中華街はラテンアメリカ最大域(44平方ブロック)だった。

観光産業の活性化に伴い、中華街への投資を本土中国人、海外中国人、中国系カナダ人に向けて行っている。[2]

ドミニカ共和国

首都のサント・ドミンゴにあり、40以上のビジネスが営まれている。新中華門が開発中、最初の中国人はカリブ海の他の島々から移住し、1970年代に香港、台湾人が移住した。1980年代にはラテン民族以外で2番目の人口があった。




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