ヌアクショット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 23:16 UTC 版)
歴史
植民地時代のモーリタニアは、セネガルに首都をおくフランス領西アフリカの一部であった。このため植民地時代には、現在のモーリタニア領内に首都がおかれることはなかった。1957年に、それまではほとんど人口のなかった大西洋岸の漁港を選び、1万5千人を目標に人口を増やす計画が始まった。これは将来のモーリタニアの首都となるべく都市を準備するための計画であった。1958年にモーリタニアはフランス統治下の自治権をもつ地域となった。1960年11月28日にはヌアクショットでのモーリタニアの独立宣言がなされ、1962年以降、独立したモーリタニアの首都となり現在に至る。
1958年以前のヌアクショットにはほとんど特筆すべきことがないが、11世紀にモロッコに成立したベルベル人の王朝アルモラビデス朝の起源は、ヌアクショット周辺であった可能性が指摘される。
1970年代以降は、北のサハラ砂漠から職を求めてヌアクショットに移住する者が相次ぎ、人口爆発が起こっている。1969年に2万人であった人口は、1980年には15万人、1995年に28万人となり、2000年には50万人を突破した。10年間で2倍以上に膨れ上がっている。この流入人口のため、スラム化が著しい。モーリタニア人はもともと遊牧民が多く、移住に抵抗がないことが、この流入に寄与している。
戦闘
1975年、モーリタニアは西サハラ南側の領有を宣言したことから、ポリサリオ戦線と交戦状態となり、1976年6月にはヌアクショット市内にポリサリオ戦線が攻め入る状態となった。交戦は短期間のうちに、ポリサリオ戦線側が多数の死傷者を出して撤退したが、後に停戦協定を結ぶきっかけとなった。
- ^ “Klimatafel von Nouakchott / Mauretanien” (German). Baseline climate means (1961–1990) from stations all over the world. Deutscher Wetterdienst. 2018年12月18日閲覧。
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