ナポレオン戦争 軍事的側面

ナポレオン戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/02 15:56 UTC 版)

軍事的側面

動員・編成

ナポレオン戦争以前のヨーロッパの絶対主義諸国は、傭兵を主体とした軍隊を有していた。フランス革命を経たフランス軍は、革命の成果たる共和国を防衛しようという意識に燃えた一般国民からなる国民軍へと変質していった。フランスは18世紀末の時点でヨーロッパではロシアに次ぐ大きさの人口ブロックであったため、徴兵制度の実施において有利であった。だがナポレオン戦争の過程でドイツをはじめとする各国にも国家主義の運動が高まり、戦争後期には各国軍とも国民軍の性格を強めた。

国民軍となったことで軍隊の規模は拡大した。直前の七年戦争において、20万人を超える軍隊を有した国はわずかであった。一方、フランス革命戦争中の最大時におけるフランス軍の人員数は150万人に達し、ナポレオン戦争期間中のフランスの総動員兵力は300万人と推定される。こうした動員制度を整備したのはラザール・カルノーであった。さらに、産業革命の初期段階にあったことで、兵器の大量生産が巨大な軍隊の装備を可能にした。戦争期間中、イギリスは最大の武器生産国となり、同盟諸国への武器供与を実施した。フランスは第2位の武器生産国であった。

国民軍の兵士たちは強い愛国心を持ち、また団結力を有していた。彼らは逃亡のおそれが低いため、散兵戦術のような兵士の自律的判断に依存する戦術を用いることができた。巨大化した軍隊には師団と呼ばれる1万人程度の独立行動可能な作戦単位の編成が導入され、大部隊の柔軟な運用が可能となった。こうした軍制改革でもフランスは他のヨーロッパ諸国に先行した。アランブロックに拠れば、軍隊内部の各所に政治将校を置き、お目付け役として、逐次ナポレオンに報告する制度を敷いた。旧ソ連時代の政治将校制度は、このナポレオンの制度をレフ・トロツキーがレーニンに進言して、取り入れさせたとされている。

軍事技術

18世紀後期の大砲

歩兵の主力兵器はフリントロック式前装銃であった。ライフルも使用されていたが、当時は装填に時間がかかり、弾丸を生産する工業技術も低かったため一般的ではなく、後方支援に多少使用される程度だった。歩兵部隊は精密な狙いを定めずに敵に向けて弾幕射撃を行った。砲兵は、それまでは歩兵の掩護のもとに行動する機動性の低い部隊であったが、フランス軍では機動性を高めた独立した部隊として編成された。ナポレオンは砲弾のサイズを標準化し、砲兵部隊間での融通を容易にした。

兵站は、いまだ鉄道が未発達であったため、各国軍とも現地調達によるしかなかった。フランス軍は人口密度の高い中部ヨーロッパでは円滑な調達により高い機動性を発揮したが、人口希薄なロシアやイベリア半島では機動力が鈍った。遠距離間の通信には腕木通信が導入され、戦争期間を通して使用された。また、熱気球による空中偵察が、1794年6月26日のフルリュスの戦い英語版において初めて実用化された。

ナポレオンの戦術

ナポレオンは巧みな戦略的機動によって有利な状況を作り出すことを得意とした。「最良の兵隊とは戦う兵隊よりもむしろ歩く兵隊である」というナポレオンの言葉や、「皇帝は我々の足で勝利を稼いだ」という大陸軍の兵士たちの言葉にこの思想が現れている。カスティリオーネの戦いでは分散して進撃する2倍のオーストリア軍に対して機先を制して機動し、各個に撃破した。ウルムの戦いでは敵主力の側面から背後を大回りに移動し、オーストリア軍主力を包囲して降伏に追い込んだ。会戦においては、ナポレオンは自軍の一部をもって敵主力の攻撃をひきつけ、その間に主力をもって敵の弱点を衝く作戦を得意とした。アウステルリッツの戦いフリートラントの戦いはこの成功例の最たるものと言える。


  1. ^ 「ナポレオン戦争」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』 (コトバンク)。
  2. ^ John Henry Naylor, 石川澄雄訳「ナポレオン戦争」『ブリタニカ国際大百科事典 13 テンチ―ナンガ』1995年7月1日 第3版初刷発行、794頁。
  3. ^ John Henry Naylor, 武本竹生訳「フランス革命戦争」『ブリタニカ国際大百科事 16 フィロ-ペルシア』1995年7月1日 第3版初刷発行、396頁。
  4. ^ 井上幸治「ナポレオン戦争」『日本大百科全書 17 とけ―にはんく』小学館、昭和62年9月1日 初版第一刷発行、ISBN 4-09-526017-3、547–549頁。
  5. ^ “「空飛ぶ救急車」やトリアージが、世界史に初登場するのはいつ?”. じんぶん堂. (2020年7月23日). https://book.asahi.com/jinbun/article/13564561 2020年12月2日閲覧。 
  6. ^ パリついに陥落、連合軍の手に(昭和19年8月31日 朝日新聞)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p412 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  7. ^ The 10 Most Hilarious Moments From History






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