トリニティ実験 爆発

トリニティ実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/28 08:04 UTC 版)

爆発

ハイスピードカメラによって撮影された、ガジェットの爆発から0.016秒後の火球(サイズは約200 m幅)。地平線に沿った黒点は樹木。
バーリン・ブリクスナー撮影)
トリニティ実験のビデオ

天候による延期

ポツダム会談の予定と相まって実験の予定日の決定には政治的思惑が大きく絡んでいたものの、そこには天候という懸案事項が立ちはだかっていた。天候の判断に責任を持つ気象学者ジャック・ハバード (John [Jack] M. Hubbard) は何日も前から当日の天候の悪化を予測し心配していた。グローヴズによる7月16日という予定日の決定を聞いたハバードは日誌に「雷雨のまっただ中だ。いったい、どこのクソ野郎がこんなことをした?」と乱暴に書きなぐっているが、彼に予定を変更させる力はなかった[23]

実験の実施は午前4時(現地時間)に予定されていたが、実験の各部門の責任者らにより前日の午後に天候に関する話し合いが行われ、再びハバードは予測の悪さを指摘して、当日の午前2時に再度集まり最終判断を下すこととなった[24]。しかし午前2時に司令センターのS-10000待避壕ははげしい雷雨に襲われていた。嵐の中、ラービは「塔にあるこの物体が誤って起動するのではないかと本当に怖かった」と述懐している。雨天の下では放射線や放射性降下物の危険が非常に大きくなることも予想された。ハバードは夜明けには天候は和らぎ、5時から6時の間には実行できるのではないかと予測した。午前4時の予定が5時30分へ変更されたとき、いらだったグローヴズは「ちゃんとやれ、でなきゃ縛り首にしてやる」とハバードをののしった[25]

実験実施

7月16日午前4時45分になって予測通り気象情報が好転し、午前5時10分に20分前の秒読みが開始された。南に 9 km ほど離れた司令センターS-10000待避壕には、ロバート・オッペンハイマーと弟のフランク英語版、計画の副官のトーマス・ファレル准将などがいた。グラウンド・ゼロで最終接続を行ったベインブリッジとキスチャコフスキーは5時ごろにS-10000に到着した。グローヴズ少将は万一のときの共倒れを防ぐためとしてS-10000からさらに南西に離れたベースキャンプから実験を見守った。ロスアラモスからバスや車を連ね駆けつけた科学者らその他の見学者は北西約 32 km のコンパニーア・ヒルにおり[26]、それ以外にも様々な距離に陣取った人々がいた。最終秒読みは物理学者のサミュエル・アリソン英語版によって読み上げられた。

現地時間(山岳部戦時標準時英語版[注釈 1])の5時29分45秒に爆弾は爆発した[注釈 2]。爆発の規模は、TNT換算でおよそ 25 kt に相当するものであった[注釈 3][5]。爆発の瞬間、実験場を取り囲む山々は1秒から2秒の間、昼間よりも明るく照らされ、爆発の熱はベースキャンプの位置でもオーブンと同じくらいの温度に感じられたと報告されている。観察された爆発の光の色は紫から緑、そして最後には白色へと変わった。物理学者リチャード・ファインマンは、自分は支給された遮光ガラスを使わずに爆発を見た唯一の人間だと書いている。彼は有害な紫外線を遮断するために、トラックの風防ガラス越しに爆発を観察した[27]。衝撃波による大音響が観察者の元に届くまでには40秒かかった[22]。爆発の衝撃波は100マイル (160 km)離れた地点でも感じることができ、キノコ雲は高度12 kmに達した。フェルミは爆風がたどり着く前後に背の高さから紙片を順次落とし、その移動距離をあらかじめの計算値と較べて爆発の威力を見積もろうとした。その結果はTNT換算 10 kt というものであった[28]

オッペンハイマーは、この爆発を目の当たりにして、ヒンドゥー教の詩篇『バガヴァッド・ギーター』の我は死なり、世界の破壊者なり[注釈 4][注釈 5]の一節が心に浮かんだ、と後に述べている。実験責任者のケネス・ベインブリッジはオッペンハイマーに対して、「これで俺たちはみなクソ野郎だな(Now we are all sons of bitches.)」と言った。オッペンハイマーの弟のフランクによれば、兄が何と言ったのか覚えていないとしつつ自分たち二人は爆発の瞬間「上手くいったな(It worked.)」とだけ言ったと思うとしている。

爆心地

実験後の爆心地
実験直後のトリニティクレーターの航空写真。画面右下(南東)の角に見える小さなクレーターは TNT約 100 tを用いた予備実験でできたクレーター
鉛で内張りしたシャーマン戦車。爆発の数時間後、爆心地へと向かった。

爆縮が成功したかその効率を測定するためには、爆発後に爆心地に近づき、プルトニウムと核分裂生成物の比率を比較するための土壌サンプルを収集する必要があった。フェルミはケーブルを繋いだロケットでサンプルを収集する方法を考案し、鉛で内張りした戦車に発射台を備え付け、さらにもう一両救出用の戦車を同行させることにした。午前中遅くに戦車2両でフェルミとハーバート・アンダーソン (Herbert L. Anderson) らが爆心地へと向かった。しかしランチャーを備えたフェルミの戦車は1マイルほど行っただけで故障した。フェルミはやむなく歩いて引き返し、アンダーソンらの乗った1両のみが爆心地へ向かう羽目となった[注釈 6][30]

この爆発で砂漠爆心地では、塔が跡形もなく消え深さ3 m、直径330 mのクレーターが残されていた。アンダーソンらは代わる代わる戦車でクレーター内に入り、戦車の底に開けた穴からサンプルを収集した。同行したダラー・ネーゲル (Darragh Nagel) は戦車の立ち往生の危険は避けられたものの、それでも乗員全員がかなりの被曝をしたと報告している[31]

クレーターの内部では、主にケイ酸塩でできている砂漠の砂は融解して、明るい緑色でわずかに放射能を帯びたガラスに変化した。この物質はトリニタイトと命名された。トリニタイトは熱で融解した長石石英からなる。クレーターは実験後間もなく埋められた。

実験区域外での状況

当時のニュースでは、実験場から150マイル (240 km)西にいた森林警備隊員が「閃光の後に爆発音と黒い煙を見た」という証言を報じている。また実験場から北に150マイル (240 km)離れた場所にいた住民は「爆発で空が太陽のように明るくなった」と述べた。その他の報告では、200マイル (320 km)離れた場所でも窓がガタガタと鳴り、爆発音が聞こえたと言われている。実験後、アラモゴード航空基地は「遠隔地の火薬庫が爆発したが、死者・負傷者は出なかった」という50語からなるプレスリリースを発表した。実際の爆発の原因は8月6日に広島市に原子爆弾が投下されるまで公表されなかった。マンハッタン計画の公式ジャーナリストであるウィリアム・L・ローレンスは、緊急時に発表できるように、事前に複数のプレスリリースをファイルしてニューヨーク・タイムズの自分のオフィスに置いていた。この原稿の中には、実験の成功を伝えるもの(これが実際に使われた)から、たった一度の異常な事故でなぜ研究者全員が死んでしまったかを説明するという恐ろしいものまで用意されていた。

トリニティ実験では約260名の人員が参加していたが、爆心地から9 km以内に近づいた者はいなかった。1946年に行なわれた一連の核実験であるクロスロード作戦では40,000人以上が参加している。


注釈

  1. ^ 1942年2月から1945年9月にかけて実施された標準時で、山岳部夏時間を通年で実施したもの。
  2. ^ 実験当日ニューメキシコ州の日の出は5時56分 (GMT-6)で、実験はその約30分前となるが、マンハッタン計画を扱ったドキュメンタリー、映画、ドラマの再現シーンでは天候も絡めた考証が一貫せず、爆発時に薄明るい、太陽が昇っている(2007年BBCのドキュメンタリー・ドラマ"Nuclear Secrets")、或いは真っ暗(2023年の映画『オッペンハイマー』)という違いが生じている。
  3. ^ エネルギー換算値はロスアラモス研究所の放射化学グループにより当初TNT換算 18.6±3.7 kt(87.5 テラジュール [TJ])とされた。その後、アメリカ・エネルギー省は 21±2 kt とした。2021年の研究における再検証では、この値は 24.8±2 kt に上方修正された。
  4. ^ この引用句についてはオッペンハイマー自身によるものや他の人々によるものを含めていくつかの異なる訳が存在する。この一節に関する最もよく知られた英訳はアーサー・ライダー英語版による以下のものである(オッペンハイマーは1930年代にカリフォルニア大学バークレイ校で彼からサンスクリット語を学んでいる)。 Death am I, and my present task / Destruction. (11:32) ギーターが1785年に初めて英訳されて以来、多くの翻訳者は "Death" ではなく "Time" という訳語を充てている。オッペンハイマーの引用句に関するより詳しい記述は1958年ロベルト・ユンク英語版による『Brighter than a Thousand Suns英語版』(日本語題『千の太陽よりも明るく』)からしばしば取られている。 If the radiance of a thousand suns / were to burst into the sky, / that would be like / the splendor of the Mighty One— / I am become Death, the shatterer of Worlds. この引用句やその翻訳のバリエーション、報告されている詩句の形についての詳しい議論は、James A. Hijiya, "The Gita of Robert Oppenheimer" Proceedings of the American Philosophical Society, 144:2 (June 2000). [1] を参照。
  5. ^ 引用された箇所の服部正明による日本語訳は以下の通り。 予は世界を滅亡せしめる熟した時(死)である。[29](11:32) ※「時」には「カーラ」とルビが振られている。英語版記事「Kāla (time)」を参照。
  6. ^ その後、フェルミはロスアラモスへの帰路に自分の体の反応がひどく鈍くなっている体験をした。そのため、普段は代わることのない運転を他人に頼まねばならなくなった。

出典

  1. ^ Richard Greenwood (January 14, 1975) (PDF), National Register of Historic Places Inventory-Nomination: Trinity Site, National Park Service, http://pdfhost.focus.nps.gov/docs/NHLS/Text/66000493.pdf 2009年6月21日閲覧。  and Accompanying 10 photos, from 1974. (PDF, 3.37 MB)
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