ダキア戦争 影響

ダキア戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/13 07:06 UTC 版)

影響

ダキア戦争はローマの完勝となり、のちにトラヤヌスはローマ市内で凱旋式を挙行した。また、ダキアから産出される鉱物資源(金・銀)はトラヤヌスによるこの後の遠征の資金源になると共に、首都ローマ市を始めとするローマ統治下の各都市の発展に大きく寄与。ダキア人の男性捕虜10万人は奴隷となってダキアから追い出された一方、代わりにローマ人が入植したことでダキアのローマ化が進んだ。

ダキアには属州が置かれ(ダキア属州)、サルミゼゲトゥサは属州州都サルミゼゲトゥサ・レギア (Sarmizegetusa Regia) となった。ダキア属州は皇帝ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌスによって放棄されるまでの約160年間に渡り、ローマ帝国へ属することとなった。

なお、トラヤヌスは『ガリア戦記』を記したユリウス・カエサルに倣って、自らダキア戦争の経過を記した『ダキア戦記』を執筆したものの、既に散逸している。ダキア戦争の一連の経緯はトラヤヌスのフォルムにあるトラヤヌスの記念柱にレリーフとして刻まれている。

関連項目

関連作品

ゲーム

  • Optimus Princeps (History&Colectors社 - Vae Victis誌#67,2006年,クロノノーツ ゲーム)





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