オジャンタ・ウマラ 人物

オジャンタ・ウマラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/11 15:49 UTC 版)

人物

生い立ち

1962年6月26日、7人兄弟の2番目としてリマに生まれる。父であるイサーク・ウマラは弁護士であると同時にペルー共産党員[1]として活動した経歴を持ち、インディヘナを中心とした民族主義運動の思想的指導者でもあった。オジャンタとはケチュア語で「すべてを見通す兵士」を意味する。このため、先住民の出自に強烈な誇りを持っているとされる[2]

日系ペルー人が創設した首都リマにある私立ラ・ウニオン校に入学している。そのため多少の日本語は解するとされる。

軍歴

1982年、20歳でペルー国軍のチョリジョ士官学校(Escuela Militar de Chorrillos)に入学し、22年間に渡る軍歴を始めている。

ウマラが退役するまでに参加した主な紛争はふたつ。 ひとつは1992年、アヤクーチョに本拠を置くペルーの左翼ゲリラ組織 センデロ・ルミノソの掃討作戦である。 もうひとつは90年代に入ってから埋蔵石油資源をめぐり隣国エクアドルとの国境地帯で小競合いが再び活発化していたが、これが1995年にセネパ戦争(en)に発展。ウマラはこれに従軍している。いずれもアルベルト・フジモリ政権下での紛争である。

ウマラが最初に世間の脚光を浴びたのはフジモリ政権に対する反乱を起こしたことによってである。

2000年9月、フジモリ大統領の側近であるブラディミロ・モンテシノス国家情報局顧問が野党議員を現金で買収する映像が公開されると、モンテシノスはペルーを離れパナマに亡命を申請した。しかし亡命はパナマ政府に拒否されたうえ、30日間の滞在しか認められなかった。 そのためモンテシノスが帰国するとの報道がペルー国内で流れると、ウマラは復帰を阻止するため決起を決意。10月29日、モンテシノスの逮捕やフジモリ大統領の辞任などを要求し、仲間の兵士とともにペルー南部のタクナ州トケパラで反乱を起こした。

決起当初の同志は40人だったが、弟アンタウロ・ウマラ(Antauro Humala)の呼びかけにより、300人近い兵士が集結した。ペルーの新聞紙『ラ・レプブリカ』(La República)が、この反乱に対して、好意的な記事を書いた。彼らは南部の軍基地の将校などを人質にとったあと、鉱山企業の事務所などを占拠した。しかし数百人の国軍兵士が派遣されると、反乱はすみやかに鎮圧された。ウマラ自身は逃走し地下に潜伏。11月22日のフジモリ大統領罷免まで逃げとおす。最終的にはウマラの同志はわずか7人になっていた。その後、軍の追跡に自主投降し逮捕された。軍法会議にかけられ有罪となったが、フジモリ大統領の亡命後、国政の実権を握ったペルー議会によって恩赦され、すぐさま軍に復帰した。なお、この事件での死者はいなかった。反乱は結果的に失敗したが、その後「フジモリ時代の清算」を標榜するアレハンドロ・トレド政権下で、フランスパリ韓国ソウル駐在武官として赴任している。

2004年末、韓国の駐在武官であったウマラは突如軍を強制退役させられた。最終的な階級は陸軍中佐であった。

アンダワイラス事件

ソウルから帰国直後の2005年1月1日、民族主義運動のリーダーとなっていた、弟で元少佐のアンタウロ率いる150人の元軍人らが、ペルー南部のアプリマック州アンダワイラスで政府に対する反乱を起こした。彼らは地元警察署に侵入し武器を強奪。警官10人を人質に立てこもり、民族主義的な主張とともに兄オジャンタを含む200人以上の強制退役させられた軍人の復帰とトレド大統領の辞任、さらに汚職の追放などを求めた。この事件では警官隊との銃撃戦になり、警官4人、反乱グループ2人が死亡した。 兄のオジャンタ・ウマラはこの行動に支持声明を出している[3]。しかし1月4日にはアンタウロらが逮捕され、事態は沈静化。後にアンタウロは第一審で禁錮25年の刑となっている。なお、兄オジャンタが大統領に就任した直後の第二審判決では禁錮19年の判決となった(2011年8月7日)。

軍内部での政治活動

ウマラの政治活動の経歴は古く、1988年には弟のアンタウロとともに軍内に「ペルー・ナショナリスト運動」(MNP:Movimiento Nacionalista Peruano)という政治組織を結成している。この組織は、反米と自主独立を旗印に、独自の軍事革命路線によって外国資本の国有化を標榜していた「ベラスコ型」の改革を理想とし、ホセ・カルロス・マリアテギの反帝国主義の影響も受けていた[4]。この組織での活動が上記のウマラ自身による反乱やアンダワイラス事件のベースとなっていた。







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