オジャンタ・ウマラ 大統領在任中と引退後

オジャンタ・ウマラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/11 15:49 UTC 版)

大統領在任中と引退後

妻・ナディン・エレディアと大統領

大統領就任

2011年7月28日、アラン・ガルシア前大統領より大統領職を引き継ぎ、第94代ペルー大統領となった。大統領就任式でウマラは「1979年憲法の精神を尊重」するとして宣誓を行い、第一副大統領のマルソル・エスピノサと第二副大統領のオマル・チェハデは1979年憲法に対して宣誓を行った。この宣誓は左派への回帰を全面に打ち出したものと評され注目を集めた。現行の1993年憲法への軽視であるとしたフジモリ派議員から強硬な抗議を受けているが取り消していない。また就任演説では、ペルーを「誰もが豊かさと幸福を同じように手にする権利を享受できる場所」とすることを目指すとし、「経済成長と社会的は足並みをそろえて進めなければならない」と語った[7]

ウマラ政権誕生後は、ペルーが左派へ回帰するかどうかが焦点となると同時に、議会運営では大統領選挙を最後まで争ったフジモリ派との全面対決が避けられない情勢となった。

2012年5月に来日。

政策

ペルー国民の貧困層の支持を受け、貧困対策に期待を集めた。イメージ的には、左派的な政策志向があるとされる。最低賃金を段階的に現状から25%引き上げて月額750ソル(約27,000円)とすることや、これまで受給資格のなかった貧しい65歳以上の高齢者への年金支給などの政策を発表する[8]。一方、鉱山開発会社などに増税し「富の再分配」をするとしている[8]

2011年の大統領選挙では、自由市場経済モデルの堅持を公約とした。閣僚人事に、その傾向がうかがえる[9]。また、アメリカ合衆国との『自由貿易協定』は、存続させることとなる[9]。ペルーの富裕層の懸念を解決させる意図がうかがえる。

2014年から中国習近平国家主席ブラジルジルマ・ルセフ大統領らと南米大陸横断鉄道英語版を建設する構想を推し進めるも[10][11]、ウマラの退任後にこの計画は凍結された[12]

大統領退任後

2016年7月28日に大統領を退任。

2017年7月13日、ブラジルの大手建設会社オデブレヒトによる汚職事件に関連する資金洗浄の容疑(オペレーション・カー・ウォッシュ)で、ペルーの裁判所が夫妻の身柄拘束を命令し、出頭した[13]2019年5月7日、ペルーの検察当局はウマラ夫妻をマネーロンダリングの罪で起訴した[14]




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