エド・サリヴァン 経歴

エド・サリヴァン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 14:49 UTC 版)

経歴

生い立ち

1901年、ニューヨーク州ニューヨークハーレムに住む、税関官吏でアイルランド系のピーター・アーサー・サリヴァンの長男として生まれた。

記者時代

ボクサーを目指していたものの、その後サリヴァンはスポーツ新聞の記者となり、ニューヨーク・デイリーニューズの劇場コラムニストとなった。

サリヴァンのコラムの多くは、ブロードウェイのショーとゴシップに関するものとして高い評判を得た。またサリヴァンはラジオでの報道原稿を執筆した。サリヴァンはその放送経歴の全体に渡り、報道原稿を書き続けた。

エド・サリヴァン・ショー

ルシール・ボールとポーラ・スチュワート(1961年)
エド・サリヴァン・シアター
デイブ・クラーク・ファイブとエド・サリヴァン(1964年)
スプリームス(1966年)

テレビの黎明期である1948年に、CBSネットワークは日曜夜のテレビ・バラエティショーの司会としてサリヴァンを起用した。番組名は当初『トースト・オブ・ザ・タウン』であった。1955年9月に番組は『エド・サリヴァン・ショー』に改名される。

番組はニューヨークのCBSスタジオ50から放映され、アメリカにおいてテレビがエンターテインメントの中心となった1950年代から1960年代にかけて、アメリカを代表するテレビ・バラエティーとして一世を風靡し、エルヴィス・プレスリージェームス・ブラウンコール・ポータージャクソン5ビートルズカルメン・ミランダなどのジャンルを問わず大スターを出演させた。

1964年に公民権法が施行される以前のアメリカにおいては人種差別が合法であり、有色人種のエンターテイナーの出演を断る劇場が多く存在していたにもかかわらず、サリヴァンはアフリカ系アメリカ人の歌手やグループを出演させていた。また、無名のスター候補を世に出したり、世界各国のスターをアメリカの一般大衆に紹介する役目も任じていたサリヴァンは、ビートルズやローリング・ストーンズのアメリカにおける初のテレビ出演を実現させたほか、日本からも当時アメリカでは無名だったジャッキー吉川とブルーコメッツザ・ピーナッツを招聘している。

この様にジャンルや人種、国籍を問わない出演者の選定は、保守的思想を持ちながら人種差別に否定的で、かつ先見の明があるサリヴァンの方針を受けたものであり、番組は公民権施行などを受けて白人中心社会からの改革を進めていたアメリカの大衆から大きな支持を受けた。これらの功績により、1967年にCBSスタジオ50は『エド・サリヴァン・シアター』と改名された(現在その時間帯には『ザ・レイト・ショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア』が放送されている)。

サリヴァンは老若男女を問わない幅広い視聴者層へ配慮するため、当時のアメリカの典型的保守層の価値観を番組に持ち込んた。プレスリーの登場時の服装やカメラの位置、ドアーズやローリング・ストーンズの登場時の歌詞の変更など、現代では滑稽と思えるような様々な逸話を提供することになった。

レジャーの多様化やベトナム戦争を経てアメリカ社会全体の価値観が変化しつつあった1971年になると、この様な保守的な構成が飽きられた『エド・サリヴァン・ショー』の視聴率は20位にも届かなくなっていた。このため、CBSの上層部は同年6月6日をもって番組を終了した。サリヴァンはこれに激怒し、1973年に『エド・サリヴァン・ショー』25周年記念番組ほかの特番に出演するまでCBSと絶縁した。

死去

番組終了後わずか3年後に食道癌1974年に死去し、マンハッタンから北に40kmほどの郊外にある高級住宅街、ニューヨーク州ハーツデールファーンクリフ墓地に埋葬された。




「エド・サリヴァン」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エド・サリヴァン」の関連用語

エド・サリヴァンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エド・サリヴァンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエド・サリヴァン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS