エッマ・アンドリエーヴシカとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 美術家 > 画家 > ドイツの画家 > エッマ・アンドリエーヴシカの意味・解説 

エッマ・アンドリエーヴシカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/22 19:55 UTC 版)

エッマ・アンドリエーヴシカ

エッマ・アンドリエーヴシカウクライナ語Емма Андієвська1931年3月19日 - )はウクライナドネツィク市出身の詩人、作家、シュルレアリスムの画家である。1949年以後、ミュンヘン在住。ウクライナ国立作家連盟、ウクライナペン・クラブ、ミュンヘン自由アカデミとドイツ画家連盟の一員。

概要

ウクライナのドネツィクに生まれた。父は化学者で、母は作物学者だった。エッマは幼いころより病弱であったため、学校に通うことができなかった。子供の治療のために、エッマの家族はヴィーシュホロド1937年)、それからキエフ1939年)に移住した。1941年独ソ戦が勃発し、エッマの父はドイツ軍に登用されないように、キエフから撤退していくソ連軍に射殺された。キエフに残されたエッマとエッマの母は1943年ドイツに移住し、ドイツの町々を周って1949年についにミュンヘンにたどり着いた。

1957年にエッマはミュンヘンにあるウクライナ自由大学を卒業し、ニューヨークに移り住んだ。そこでエッマは、1959年にウクライナ出身の文学評論家、イヴァン・コシュルィーヴェツィと結婚し、1962年にエッマはアメリカの国籍を獲得した。1955年から1995年にかけてエッマはミュンヘンにおけるラジオ『自由』のウクライナ部のアナウンサー、シナリオ作者と部長を務めた。

現在はミュンヘンに在住している。

著作

小説

題名 ウクライナ語の題名
1971年 ヘロストラトスたち Герострати
1973年 善人についての諸説 Роман про добру людину
1982年 人の運命についての小説 Роман про людське призначення

短散文

題名 ウクライナ語の題名
1955年 Подорож
1962年 虎たち Тигри
1962年 ジャラピタ Джалапіта
2000年 童話 Казки
2000年 頭の問題 Проблема голови

詩集

題名 ウクライナ語の題名
1951年 Поезія
1958年 アイドルの誕生 Народження ідола
1961年 魚と大きさ Риба і розмір

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エッマ・アンドリエーヴシカ」の関連用語

エッマ・アンドリエーヴシカのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エッマ・アンドリエーヴシカのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエッマ・アンドリエーヴシカ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS