エッペンシュタイン家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/17 06:51 UTC 版)
エッペンシュタイン家(ドイツ語: Eppensteiner)は、中世ドイツにおいてケルンテン公を世襲した貴族の家系。オーストリア国旗として知られる赤・白・赤の旗はもともとエッペンシュタイン家が用いたものであり、1122年に同家が断絶した後、シュタイアーマルクのオタカール家が領土とともに旗も継承し、オタカール家が1192年に断絶した後は、オーストリア公のバーベンベルク家がさらに継承した[1]。
概要
家名はシュタイアーマルクのオプダッハ(Obdach)にあったエッペンシュタイン城から名付けられた。バイエルン発祥であり、ユーデンブルク付近を拠点とした。マルクヴァルト3世(970年以前 - 1000年頃)が最初にシュタイアーマルク辺境伯となった。
アダルベロは広大な領土を確保し、1000年頃にケルンテン辺境伯に、そして1012年にはケルンテン公に任ぜられた。1035年に退位させられ、4年後に死去した。アダルベロの息子マルクヴァルト4世(1076年没)は、広大な領土を継承し、ケルンテンの事実上の支配者となった。その息子ルイトポルト(1090年没)は、1077年にハインリヒ4世により再びケルンテン公およびヴェローナ辺境伯に任ぜられた。ルイトポルトは弟ハインリヒとともに、バンベルク、ザルツブルクおよびアクイレイアまで勢力を拡大させようとした。父マルクヴァルトとハインリヒはシュタイアーマルクにザンクト・ランブレヒト修道院を創設し、修道院は文化の中心となった。
1122年、ハインリヒの死去によりエッペンシュタイン家は断絶した。上シュタイアーマルクの領地は従兄弟オタカール2世(1122年没)およびその息子レオポルトに継承された。ケルンテン公領は親族のシュポンハイム家の手に渡った。
系図
|
マルクヴァルト1世 フィーバッハガウの伯 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
マルクヴァルト2世 フィーバッハガウの伯 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
マルクヴァルト3世 (-1000) ケルンテン辺境伯 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
アダルベロ (980-1039) ケルンテン辺境伯 ケルンテン公 |
|
ベアトリクス (シュヴァーベン公ヘルマン2世娘) |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
マルクヴァルト4世 (-1076) |
|
アダルベロ (-1057) バンベルク司教 |
|
ヴィリビルク =シュタイアーマルク辺境伯オットカール1世 |
|
娘 1=ズアラフェルトガウ伯クノ2世 2=ディーセン伯オットー1世 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
リウトルト (ルイトポルト) (-1090) ケルンテン公 |
|
ハインリヒ3世 (-1122) ケルンテン公 |
|
ゾフィー (?-1154) (オーストリア辺境伯レオポルト2世娘) |
|
ブルクハウゼン伯ジクハルト (?-1142) |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
脚注
- ^ Hermann Wiesflecker: Österreich im Zeitalter Maximilians I.: die Vereinigung der Länder zum frühmodernen Staat; der Aufstieg zur Weltmacht, Wien/München 1999, S. 138 f.
参考文献
- エッペンシュタイン家のページへのリンク