アブラゥン・リンコン・マルチンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/11 19:49 UTC 版)
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名前 | ||||||
本名 |
アブラゥン・リンコン・マルチンス Abraão Lincoln Martins | |||||
ラテン文字 | LINCOLN | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1983年6月14日(37歳) | |||||
出身地 |
サンパウロ州 ジュンジアイ | |||||
身長 | 185cm | |||||
体重 | 79kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
2004年にパウリスタFCでプロデビューし、そのシーズン後半のカンピオナート・ブラジレイロ・セリエBで早速ゴールを挙げる。
2006年にはリベルタドーレス杯に出場。初戦のCDエル・ナシオナル戦では途中出場からゴールを決めた[1]。
2007年はアビスパ福岡へ移籍。主力として活躍するもチームはJ1昇格を逃し、自身もシーズン終了後に退団した。2008年からは湘南ベルマーレへ移籍。だが7月13日の愛媛FC戦で右内転筋肉離れを起こして長期離脱を余儀なくされ、7月31日に選手登録を抹消された。2009年は古巣パウリスタFCでプレーし、8月14日にこちらも古巣の湘南へレンタル復帰。
2010年1月24日、契約満了により湘南を退団した。2010年はパウリスタFCでプレーし、2011年からはザスパ草津へ移籍するも、2012年8月18日付けで契約解除となる。
エピソード
- 「アブラゥン・リンコン」とは、父が16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンにちなんで名づけた名前(ポルトガル語風のスペルと発音)。
- 2007年4月にあったアビスパ福岡vs愛媛FC戦(博多の森球技場)で、ゴールを決めた喜びのあまりコーナーキック用の旗を蹴り壊してしまい、この試合2回目の警告を受け退場となった。その後、セレッソ大阪戦(博多球)でゴールを決めた後、蹴った旗に謝るというユニークな面を見せた。
- 趣味であるドラムの腕前はなかなかの物で、湘南在籍時にドラム教室に通おうとした所その腕前に驚いた講師に『うちでは何も教える事が無い』と言わしめた。しかし、結果ドラム教室に通えなくなってしまい、その後も神奈川県内のドラム教室を探す事になった。
- 2013年のブラジリエンセFCには、リンコンの他、FWワシントン、DFジェフェルソンが在籍していた。アメリカのラシュモア山に彫られている同国歴代大統領の胸像4名のうち3名(エイブラハム・リンカーン、ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン)と同じ名前の選手が揃っていたということで、「Os Presidentes do Brasiliense(ブラジリエンセの大統領)」として、この胸像を真似た構図での撮影が行われた[2]。
所属クラブ
- 2004年 パウリスタFC
- 2005年 ECタウバテ
- 2006年 パウリスタFC
- 2007年 アビスパ福岡
- 2008年 湘南ベルマーレ
- 2010年 オリエンテ・ペトロレロ
- 2010年 パウリスタFC
- 2009年8月 - 同年12月 湘南ベルマーレ (期限付き移籍)
- 2011年 - 2012年8月 ザスパ草津
- 2013年 ブラジリエンセFC
- 2014年 CAヴォトゥポランゲンセ
- 2015年 CAジュベントス
- ^ [1]
- ^ JORNAL DE BRASÍLIA TORCIDA. (PDF) ブラジリエンセFC (2013年2月4日)(ポルトガル語)
- 1 アブラゥン・リンコン・マルチンスとは
- 2 アブラゥン・リンコン・マルチンスの概要
- 3 個人成績
固有名詞の分類
ブラジルのサッカー選手 |
クリスティアン・コヘア・ディオニシオ ジュリアーノ・ベレッチ アブラゥン・リンコン・マルチンス リカルド・ロジェーリオ・デ・ブリト ロブソン・ルイス・ペレイラ・ダ・シルバ |
アビスパ福岡の選手 |
パブロ・マケーダ 山口和樹 アブラゥン・リンコン・マルチンス グラウシオ・デ・ジェズス・カルヴァリオ 長野聡 |
湘南ベルマーレの選手 |
水谷雄一 金永基 アブラゥン・リンコン・マルチンス 三田光 巻佑樹 |
ザスパ草津の選手 |
寺田一太 奥野僚右 アブラゥン・リンコン・マルチンス 桑原剛 喜多靖 |
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