コパ・リプトン
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/23 09:37 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| コパ・リプトン | |
|---|---|
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優勝国に与えられたトロフィー
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| 開始年 | 1905年 |
| 終了年 | 1992年 |
| 主催 | アルゼンチンサッカー協会 ウルグアイサッカー協会 |
| 地域 | 南米 |
| 参加チーム数 | 2 |
| 加盟国 | |
| 前回優勝 | アルゼンチン(1992年) |
| 最多優勝 | アルゼンチン(17回) |
コパ・リプトン(コパ・デ・カリダード・リプトン,リプトン杯とも。西:Copa de Caridad Lipton)は、アルゼンチン代表とウルグアイ代表の間で行われていたサッカーの国際親善大会である。1905年から1992年まで29回開催された。
歴史
英国の紅茶ブランド「リプトン」の創業者として知られるトーマス・リプトンが、ラプラタ川の両側にあり、ほぼ自国の選手だけで構成された代表チームによる2国間(アルゼンチン,ウルグアイ)の大会に対して、トロフィーを寄贈したのが始まりである。伝統として、引き分けの場合はアウェーチームの優勝とし、次の大会の日程やルールは、優勝国(トロフィーの保持者)が設定するものとされていた。
大会は1905年から1929年まで、1914年,1920年~1921年,1925年~1926年を除き、毎年開催されていた。FIFAワールドカップが1930年に開始されてからは、1937年~1992年までの55年間に9回、散発的に開催された。結局、大会は通算29回開催され、優勝回数はアルゼンチンの17回に対し、ウルグアイの12回となっている。
歴代大会結果
最終結果
以下の表は、コパ・リプトンの全大会の結果である[1] [2]。
| 年 | 優勝 | 準優勝 | スコア | 開催都市 |
|---|---|---|---|---|
| 1905 | 0-0 [3] | ブエノスアイレス | ||
| 1906 | 2-0 | モンテビデオ | ||
| 1907 | 2-1 | ブエノスアイレス | ||
| 1908 | 2-2 [4] | モンテビデオ | ||
| 1909 | 2-1 | ブエノスアイレス | ||
| 1910 | 3-1 | モンテビデオ | ||
| 1911 | 2-0 | ブエノスアイレス | ||
| 1912 | 2-0 | モンテビデオ | ||
| 1913 | 4-0 | アベジャネーダ | ||
| 1915 | 2-1 | ブエノスアイレス | ||
| 1916 | 2-1 | モンテビデオ | ||
| 1917 | 1-0 | アベジャネーダ | ||
| 1918 | 1-1 [4] | モンテビデオ | ||
| 1919 | 2-1 | ブエノスアイレス | ||
| 1922 | 1-0 | モンテビデオ | ||
| 1923 | 0-0 [3] | ブエノスアイレス | ||
| 1924 | 2-0 | モンテビデオ | ||
| 1927 | 1-0 | ブエノスアイレス | ||
| 1928 | 2-2 [4] | モンテビデオ | ||
| 1929 | 0-0 [3] | ブエノスアイレス | ||
| 1937 | 5-1 | ブエノスアイレス | ||
| 1942 | 1-1 [4] | モンテビデオ | ||
| 1945 | 2-2 [4] | モンテビデオ | ||
| 1957 | 1-1 [3] | ブエノスアイレス | ||
| 1962 | 3-1 | ブエノスアイレス | ||
| 1968 | 2-0 | ブエノスアイレス | ||
| 1973 | 1-1 [3] | ブエノスアイレス | ||
| 1976 | 4-1 | ブエノスアイレス | ||
| 1992 | 0-0 [4] | モンテビデオ |
歴代優勝回数
| 国 | 優勝回数 | 優勝年 |
|---|---|---|
| 17 | 1906, 1907, 1908, 1909, 1913, 1915, 1916, 1917, 1918, 1928, 1937, 1942, 1945, 1962, 1968, 1976, 1992 | |
| 12 | 1905, 1910, 1911, 1912, 1919, 1922, 1923, 1924, 1927, 1929, 1957, 1973 |
脚注
関連項目
- コパ・リプトンのページへのリンク