Y.S.C.C.横浜フットサルとは? わかりやすく解説

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Y.S.C.C.横浜 (フットサル)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 09:28 UTC 版)

Y.S.C.C.横浜
原語表記 Y.S.C.C.横浜[1]
呼称 Y.S.C.C.横浜
愛称 Y.S.C.C.
クラブカラー   水色、  白、    オレンジ
所属リーグ 日本フットサルリーグ
所属ディビジョン Fリーグディビジョン1
ホームタウン 神奈川県横浜市
ホームスタジアム 平沼記念体育館、横浜武道館横須賀アリーナ
運営法人 特定非営利活動法人横浜スポーツアンドカルチャークラブ
代表者 吉野次郎
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

Y.S.C.C.横浜(ワイエスシーシーよこはま)は、日本神奈川県横浜市をホームタウンとする[1]日本フットサルリーグ(Fリーグ)に加盟するフットサルクラブチーム。運営法人は特定非営利活動法人横浜スポーツアンドカルチャークラブ(日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟する横浜スポーツ&カルチャークラブ(Y.S.C.C.横浜)の運営会社)である。

歴史

特定非営利活動法人横浜スポーツアンドカルチャークラブにより2011年に創設。2013年に「ファンタースソールトラップ横浜」(神奈川県フットサルリーグ1部)と合併し、以降は神奈川県1部で活動していた[2]

2018年1月18日には日本フットサルリーグ(Fリーグ)への加盟が承認され、2018-19シーズンからの2部制導入により新設されるFリーグディビジョン2(F2)へ参加が承認された[1][2]。2018-19シーズンはボアルース長野に次ぐ2位となり、F1参入プレーオフへの出場を逃した。

2019年4月20日、株式会社吉野家とオフィシャルパートナー契約を締結[3]。2019-20シーズンにはF2リーグで優勝し、Fリーグディビジョン1(F1)への昇格を決めた。

2021年9月10日、ワールドカップ予選日本代表戦のためサッカーミャンマー代表として来日していたピエ・リヤン・アウンがミャンマーの国内情勢から難民亡命申請後、サッカーをする環境を与えるためにチームに受け入れる。同時に元サッカー日本代表の松井大輔を獲得。

アウンはクラブの早朝の練習時間、日本語習得、フットサル転向などでフィットしきれなかったが[4]、松井大輔は1シーズン目はフットサルの感覚と怪我に苦労しながらも2シーズン目となる2022-2023シーズンには第二セットのピヴォとしてフィット。

さらにリッツィなど外国人選手の獲得、日本代表にも選出された堤優太やゴレイロ矢澤大夢、井戸孔晟の成長などもあり、関東リーグでの実績もある鳥丸太作監督の就任で練習時間の変更もあってF1昇格後順調に順位は上がっている。

鳥丸は2023-24シーズンを持って退任[5]

クラブOBでもある元日本フットサル代表稲葉洸太郎の監督就任を前提とした契約が発表された[6]

成績

年度 所属 順位 勝点 試合 得失 オーシャン杯 全日本選手権 監督 備考
2018-19 F2 2位 30 14 10 0 4 74 27 +47 1回戦敗退 2回戦敗退 前田佳宏
2019-20 1位 38 14 12 2 0 84 23 +61 2回戦敗退 F1に自動昇格
2020-21 F1 11位 9 22 2 3 17 39 79 -40
2021-22 10位 23 22 6 5 11 48 58 -10
2022-23 8位 32 22 10 2 10 56 51 +5 鳥丸太作
2023-24 7位 40 22+5 10+2 3+1 9+2 79 68 +11 レギュラーシーズン7位、ファイナルステージ下位リーグ1位
2024-25 稲葉洸太郎

ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st)
FP(2nd)
GK(1st)
GK(2nd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

チームカラー

  •     水色
  •    
  •     オレンジ

ユニフォームスポンサー

年度 鎖骨左 鎖骨右 背中上部 背中下部 パンツ サプライヤー
2019 吉野家 新横浜
整形外科
SANYO モノオク ノア・フットサル
ステージ
岩井の胡麻油 神楽坂
スポーツ
younger
2020 miraire UNIVERSE
FRONTIER

歴代所属選手

脚注

  1. ^ a b c 日本フットサルリーグ フットサル中期ビジョンと2018/2019シーズン以降の取り組みについて』(プレスリリース)日本フットサルリーグ、2018年1月18日http://www.fleague.jp/news/?p=401102018年1月30日閲覧 
  2. ^ a b 横浜初の「Fリーグ」チームに”. タウンニュース社 (2018年1月25日). 2018年1月30日閲覧。
  3. ^ 株式会社吉野家 オフィシャルパートナー決定のお知らせ』(プレスリリース)Y.S.C.C.横浜、2019年4月20日https://ysccfutsal.jp/news/106/2020年9月18日閲覧 
  4. ^ 「批判される方々に心から…」日本のチームメートに嫉妬はなく温かい だが“難民認定ミャンマー代表GK”の言葉が哀切極まる理由(木村元彦)”. Number Web - ナンバー. 2024年3月12日閲覧。
  5. ^ 【トップチーム】 監督退任のお知らせ ー 鳥丸太作 監督 ー | YSCC横浜フットサル”. YSCC横浜フットサル | 飾らず、ひたむきに。 (2023年12月16日). 2024年3月12日閲覧。
  6. ^ 【トップチーム】新監督就任について | YSCC横浜フットサル”. YSCC横浜フットサル | 飾らず、ひたむきに。 (2024年2月20日). 2024年3月12日閲覧。

関連項目

外部リンク


Y.S.C.C.横浜フットサル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 03:44 UTC 版)

ピエ・リヤン・アウン」の記事における「Y.S.C.C.横浜フットサル」の解説

かくしてY.S.C.C.練習生となったピエ・リヤン・アウンであったが、クラブはこの時点で既にゴールキーパーを4人抱えていたことや、フィジカル落ちていたことなどを理由正式な契約見送られた。しかし、練習状況からフットサルでのプレー適していると評価したクラブ幹部より、Y.S.C.C.保有するフットサルチームでの練習参加提案され本人もこれに同意ゴレイロとして本格的にフットサルトレーニングに励むこととなった。およそ1か月練習参加経て2021年9月10日、元サッカー日本代表松井大輔とともにチームと正式契約交わしたことが発表された。4日後に行われた入団会見の席では、契約形態プロ契約であることが明らかにされ、現在の心境今後向けて抱負述べた11月23日横須賀アリーナ行われたFリーグ1部)第15節・バルドラール浦安戦で、第2ピリオド残り10分を切った場面で途中出場公式戦デビュー果たした

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