U-2偵察活動と撃墜事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/01 13:31 UTC 版)
「フランシス・ゲーリー・パワーズ」の記事における「U-2偵察活動と撃墜事件」の解説
U-2を使用した偵察活動の内容はソ連などの敵国上空から軍事施設やその他の重要施設の写真を撮影することであった。1960年5月1日、パワーズの操縦するU-2はソ連スヴェルドロフスク上空でソ連防空軍のSAM(地対空ミサイル)によって撃墜された。パラシュート降下したコスリノ(ロシア語版)でパワーズを救出した地元の住民は当初ソ連軍兵士と勘違いしたが、所持品からスパイと見破った。 パワーズは公開裁判にかけられ、スパイ行為を行っていたことを自白した。8月19日、ソ連に対する諜報行為のため有罪を宣告され、禁固10年を言い渡されシベリアに送られたが、元OSSのドノバン弁護士とソ連側のシスキンKGB西欧本部書記官間の交渉により、1962年2月10日、東ドイツ(当時)・ポツダムのグリーニッケ橋で、同じくスパイ容疑で拘留されていたアメリカの学生・フレデリック・プライヤー(チェックポイント・チャーリーで解放)とともに、アメリカで逮捕されたKGB大佐ルドルフ・アベルと交換する形で解放され、無事アメリカに帰国することができた。
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