チャイコフスキー

ロシア、ウラル地方のヴォトキンスクで鉱山技師の父の元に生まれた。家族に職業音楽家はいないが、父がフルートを演奏し、母もピアノを弾くなど音楽的な素養があった。1859年から法務省の官吏になるが63年には辞職。このころ新設されたペテルブルク音楽院に所属しており、院長のアントン・ルビンシュタインに管弦楽法を学んだ。卒業後アントンの弟、ピアニストのニコライ・ルビンシュタインの招きでモスクワ音楽院の講師となった。ニコライとはその後親友として交流した。
1870年代は結婚(1877年)の失敗から精神的に不安定となるなど危機的な状況も迎えた。しかし創作力は旺盛で1868年の「ロメオとジュリエット」に始まって、「ピアノ協奏曲第1番(1874-75)」、「交響曲第4番(1877)」などの傑作が生み出されて名声をもたらした。
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