NHK時代の活動
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朝日新聞社からも内定をもらっていたが、新人記者を警察記者クラブで研修させる「サツ回り」が嫌で断ったとブログでコメントしている。 NHKでは報道局特報部でディレクターを務め、『ニュースセンター9時』の制作に関わり、『クローズアップ現代』では初代デスクを務めた と語っている。 アナログハイビジョンのプロジェクトメンバーだったが、数千億円の受信料と税金を投じたにもかかわらず、結果として失敗に終わったことについて、「現場でハイビジョンの開発をしていた私たちにとって、それは衛星放送で限られたマニア向けに流すとか、業務用の高級AV商品」と考えていたと記している。1980年代には、ハイビジョン開発プロジェクトの一環として、ハイビジョン番組の制作に関わったこともあるが、(当時使っていた小さなモニターでは)ハイビジョンの画質のよさがよく分からなかったという。 池田がNHKを退職したのは39歳のころで管理職の辞令を受けたときだが、管理職になると番組制作には基本的に携わることができなくなり、制作費の管理というつまらない仕事をするだけと述べている。
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