N.W.Aと『Eazy-Duz-It』 (1987–91)
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N.W.Aは、ドクター・ドレーとアイス・キューブが"Boyz-n-the-Hood(英語版)"を作った時に結成された。メンバーには後にDJイェラ、MCレン(英語版)、アラビアン・プリンス(英語版)も加わった。 コンピレーション・アルバムである『N.W.A. and the Posse(英語版)』は1987年11月6日にリリースされ、ゴールド(50万枚)となった。 翌年、1988年9月16日にはイージーのデビュー・アルバム『Eazy-Duz-It(英語版)』がリリース。当時の宣伝文句は「ウエスト・コースト・ヒップホップ、ギャングスタ・ラップ、ヒップホップの黄金時代」だった。売れ行きはアメリカ国内だけで250万枚以上、ビルボード200では41位まで上がった。プロデュースはドクター・ドレーとDJイェラが行い、リリックの多くはMCレン、アイス・キューブ、ザ・D.O.C.が書いた。 『Eazy-Duz-It』はN.W.A最大の問題作『Straight Outta Compton』への道を切り開いた。その中のイージーのソロ曲は『8 Ball』のリミックスのみで、元々は『N.W.A and the Posse』の中の曲だった。『Straight Outta Compton』でイージーは8曲でラップし、4曲の作詞を手伝った。 しかしリリース後、グループ内の対立によりアイス・キューブが脱退、グループは4人組で続くことになった。 N.W.Aは1991年にミニ・アルバム『100 Miles and Runnin'(英語版)』とアルバム『Niggaz4Life(英語版)』を発表。シングル『100 Miles and Runnin'(英語版)』と『Real Niggaz』がリリースされると、N.W.Aとアイス・キューブの間でお互い歌での罵り合いが始まる。アイス・キューブは死刑に関する曲『No Vaseline』で応戦している。イージーはアルバム『Niggaz4Life』の12曲のうち7曲でラップしている。 1991年3月、イージーは当時のアメリカ合衆国大統領ジョージ・ブッシュから共和党の昼食会に招待された。イージーの代理人によると、湾岸戦争においてライトが果たした役割(兵士たちのストレス発散)によってイージーは大統領を助けたとのことである。
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