MoMAでの松風荘
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施工は関野の意向で名古屋の宮大工伊藤家棟梁の第十一代目平左エ門が、庭園は京都の竜安寺出入りの六代目佐野旦斎が担当することになった。 建設に必要な檜が不足したため、林野庁の特別許可を得て、木曽の国有林からを檜を切り出した。建物は1953年末に伊藤家の作業場で仮組み立てを行った後で解体して、ニューヨークに搬送された。仮組立をしたのは日本から大工2名しか送れなかったので。建設手順を確認しておく必要があったからで、檜皮葺の屋根を約6尺角の正方形のユニットで組めるようにするなど、施工の簡略化が図られた。吉村、佐野と大工2名、左官1名が渡米し、ハワイ出身の日系二世の大工などを指揮して完成させた。建物は松風荘(Pine Breeze Villa)と名付けられ、1954年6月19日から一般公開された。この建物は現地の関心を呼び、建設中からニューヨークの新聞にとりあげられたほどである。自然の材料の美しさ、単純な意匠、開放的な間取り、精密な手仕事等が高く評価され、1954-55年の二年間の展示期間中には,開館前から長蛇の列ができ , 前2回の展示の3倍に当たる約25万人の観客を動員した。1954年11月には、吉田茂首相も訪れている。
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