KFCの顔として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 15:09 UTC 版)
「カーネル・サンダース」の記事における「KFCの顔として」の解説
1964年、74歳のサンダースは、KFCの権利をジョン・Y・ブラウン・ジュニアに売却して経営の第一線から退いたが、以後も "public spokesman for the company"(直訳すれば「会社の広報担当」。日本法人の表現によれば「味の親善大使」)として働いた。サンダースは製法が守られているかを確認するために世界各国に広がった店舗(1979年には6000店舗を数えた)を見て回った。 1970年にKFCが進出した日本には、1972年10月、1978年6月、1980年5月の3度訪れている。KFC日本法人によれば「日本のKFCが一番気に入っている」と述べていたといい、「日本びいき」であったと紹介している。1980年5月に訪れた日本はサンダースにとって最後の訪問国となった。なお、最後の訪日の際、朝日新聞で受けたインタビュー記事を基に、『週刊朝日』「山藤章二のブラック=アングル」が記されている。 1980年6月に急性白血病を発症し、肺炎を併発、同年12月16日に逝去。90歳だった。
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