Ju 87 D
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 23:13 UTC 版)
「Ju 87 (航空機)」の記事における「Ju 87 D」の解説
試作機。バトル・オブ・ブリテンで敵戦闘機の攻撃からJu 87は大きな被害を出した。それにもかかわらず、ドイツ空軍はスツーカ以外の有効な航空機を持っておらず、スツーカの開発を継続する以外の選択肢を持ち得なかった。その結果、開発されたのがDシリーズである。1941年6月に、RLMは5機のプロトタイプ、Ju 87 V21-25を発注した。Ju 87 D-1はダイムラー・ベンツDB 603エンジンの搭載が計画されていたが、このエンジンはユンカースJumo 211よりも出力が劣る貧弱なエンジンで、装備機がテスト中に墜落することもあった。Ju 87 Dシリーズはオイルクーラーやラジエーターの配置を見直し、より良い視界を得るためにコックピット周りを改良し、洗練された形になっている。さらに防弾装備を増強し、後方の防御機銃として7.92mm MG 81Z 連装機関銃を装備した。エンジン出力は増強され、1,420PS(1,044kW, 1,401hp)のJumo 211J-1やJumo 211Pが搭載されるようになった。1943年、Ju 87 Dの燃料搭載量は1,370Lに増加された。これにより2時間15分の滞空が可能となった。300Lの増槽を2つ追加搭載することで滞空時間は4時間にも達した。
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