IBM引退後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 01:22 UTC 版)
「トーマス・J・ワトソン・ジュニア」の記事における「IBM引退後」の解説
1977年に、ジミー・カーター大統領の要請を受け、軍縮諮問委員会GACの委員長に就任する。さらに1979年、戦時中のソ連へのレンドリース作戦で培われたロシア語の知識を買われ、駐ソ大使としてモスクワに着任、12月24日にソ連によるアフガニスタン侵攻が開始され、対応に追われる。しかしながら、アンドレイ・グロムイコ外務大臣との会談も不調に終わり、1980年の大統領選挙でのロナルド・レーガンの勝利に伴い、失意の内に帰国する。1988年、アメリカ哲学協会よりベンジャミン・フランクリン・メダル受賞。1993年に79歳で死去。
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