FSLN書記長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 00:24 UTC 版)
「ダニエル・オルテガ」の記事における「FSLN書記長」の解説
チャモロ政権ではFSLN書記長として、弟のウンベルト・オルテガと共にチャモロ政権によるサンディニスタ人民軍の軍縮や、蜂起する旧ソモサ、サンディニスタ両派のゲリラとの和解に協力する一方、奢侈と腐敗が進行した。 1996年の大統領選挙に出馬したが、自由同盟(AL)のアルノルド・アレマンに敗れ落選した。1998年にオルテガのセクハラが養女によって告発され、スキャンダルとなってFSLNの腐敗は進行し、FSLNは与党との取引により、ニカラグアの腐敗政治を担う政党勢力の一角となり下がり、党内からサンディニスタ革新運動(MRS)が分裂した。2001年の大統領選挙にも出馬したが、旧ソモサ派の流れを継ぐ立憲自由党(PLC)のエンリケ・ボラーニョスに敗れ、落選した。 この間、FSLNはイデオロギー上の立場を修正し、政治的・経済的過激主義を放棄して、国民の70%を占める貧困層中で支持を集めた。
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