B6判時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 22:44 UTC 版)
「プレイガイドジャーナル」の記事における「B6判時代」の解説
『プレイガイドジャーナル』は雑誌としては珍しい「B6判」で創刊された。創刊時のメンバーには舞台関係の人物が多かったが、林信夫、秦京子など読者の学生たちが編集部に出入りするようになり、彼等が編集部の中核を担うようになった。初期には『プガジャ』は本屋にはあまり置かれず、ライブハウスや喫茶店などに編集者たちが直接、配本していた(のちに、取次を通して書店販売もされるようになった)。音楽ライブ、演劇公演、映画上映、フリーマーケット、海外ツアーなどのイベントを、誌面とも連動しながら盛んに行った。また、「喫茶店特集」が好評だったため、単行本『青春街図』シリーズが企画された(のちの『ぴあMAP』の先駆)。三代目編集長の山口由美子が企画した、いしいひさいちの漫画単行本『バイトくん』(1977年刊行)はベストセラーとなった。
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