B5判時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 22:44 UTC 版)
「プレイガイドジャーナル」の記事における「B5判時代」の解説
1981年に就任した5代目編集長・村上知彦は、扱う情報量の増加などの理由により、1983年1月号から『プガジャ』のサイズを他の情報誌と同じB5判に変更した。また創刊以来すえおかれていた定価「100円」を「180円」に値上げした。イベントの開催はB6判時代に比べると減り、「雑誌自体の魅力」を主張していく編集方針となっていた。1984年に就任した6代目編集長・小堀純は、表紙イラストを南伸坊に変更する他、コラム担当にも積極的に東京のサブカル文化人の起用をはかり、さらにサブカル雑誌としての充実を図った。
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