76ers以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 06:19 UTC 版)
「ジョージ・マクギニス」の記事における「76ers以後」の解説
ナゲッツでは地道かつ厳しい練習を課すヘッドコーチのラリー・ブラウンと練習嫌いのマクギニスの間で確執が生じ(ブラウンは1978-79シーズン中にコーチを辞任している)、またチームメイトのデビッド・トンプソンやダン・イッセルらともあまり上手くいかなかった。マクギニスはナゲッツでの1年目に22.6得点11.4リバウンドの成績を残すが、シーズン終盤に左足靭帯を断裂し、プレーオフ全休を強いられた。この怪我が影響し翌1979-80シーズンは通常より25ポンドも重い状態で開幕を迎えてしまい、マクギニスの成績は大きく落ち込んだ。ナゲッツはマクギニスの放出を決意し、マクギニスはシーズン中にアレックス・イングリッシュとのトレードで、古巣インディアナ・ペイサーズに復帰することになった。 靭帯断裂以後のマクギニスのパフォーマンスは明らかに低下し、ペイサーズに戻って以降も回復はしなかった。1981-82シーズンには遂に平均得点が二桁を割り込み、マクギニスはこのシーズンを最後に現役引退を決意した。 ABA/NBA11シーズンの成績は842試合の出場で、通算17,009得点9,233リバウンド3,089アシスト、平均20.2得点11.0リバウンド3.7アシストだった。
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