7本山とその旧末寺の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:56 UTC 版)
「興統法縁会」の記事における「7本山とその旧末寺の動向」の解説
終戦後の1945年(昭和20年)12月28日、宗教団体法が廃止されて国家による統合圧力が消滅すると、1950年(昭和25年)、京都の要法寺が旧末寺約50ヶ寺をひきつれて日蓮宗を離脱し日蓮本宗を発足させたほか、下条妙蓮寺と旧末寺6ヶ寺も日蓮宗を離脱して日蓮正宗に合流した。1957年(昭和32年)には西山本門寺(本山単独)、保田妙本寺と旧末寺の一部(4ヶ寺)、重須本門寺の末寺讃岐本門寺などが日蓮宗を離脱して日蓮正宗に合流した。1960年(昭和35年)、下条妙連寺の旧末寺のうち、日蓮宗との合同を維持していた1ヶ寺が日蓮正宗に合流した。1975年(昭和50年)、西山本門寺は日蓮正宗より離脱し単立となった。1995年(平成7年)、保田妙本寺は旧末寺2寺とともに日蓮正宗より離脱して単立となった。 北山本門寺・小泉久遠寺・伊豆実成寺3本山とその旧末寺、日蓮宗を離脱した4本山の旧末寺の一部は北山本門寺を縁頭寺として「興統法縁会」を再編維持し、日蓮宗の内部で富士門流としての独自性を維持している。
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