60周年記念問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 22:44 UTC 版)
「キング・デイヴィッド・ホテル爆破事件」の記事における「60周年記念問題」の解説
2006年7月にメナヘム・ベギン・ヘリテッジ・センター(Menachem Begin Heritage Center)は爆破事件60周年を記念して会議を開催した。会議には元首相であり、後に首相に返り咲くネタニヤフやイルグンの以前のメンバーが出席した。爆破事件の記念碑も除幕された。そこには「イギリスにしか知りえない理由により、ホテルは避難しなかった。」と書かれていた。 テルアビブのイギリス大使とエルサレムの総領事は「多くの人命が失われたテロ行為を正しいとは思えず、記念すべきでないと考える。」と抗議した。そして、テロのような行為はそれが前もって警告されたとしても賞賛すべきではないとエルサレム市長に書き送った。また、イギリス政府は記念碑を除去することを要求し、イギリスがホテルから避難させることに失敗したというのは真実ではなく、爆弾を仕掛けたものを許すことは出来ないと指摘した。 外交問題に発展しないように、クネセトの議員であるルーベン・リブリンの反対を押し切り、記念碑の文章は書き換えられることになった。英語の最終版では「警告の電話がホテルとパレスチナ・ポスト、フランス領事館に送られ、ホテルにいる人間はただちに退去するよう促された。ホテルは避難せず、25分後に爆弾が爆発した。イルグンにとっては残念なことに92名が殺された。」となっている。死亡者数にはAvraham Abramovitzが含まれている。彼はイルグンのメンバーで事件の際に銃撃され傷が元で後に亡くなっている。
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