33歳・自己記録の2時間28分台でゴール
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「浅井えり子」の記事における「33歳・自己記録の2時間28分台でゴール」の解説
ソウル五輪が終わり浅井が30歳前後の時期、坐骨神経痛に悩まされたり「若い選手に負けたくない」という気負いが空回りしてスランプに陥り、マラソンで好結果を出せない時期が続いた。1989年には日本女子マラソン記録保持者だった、宮原美佐子と小島和恵の二人が相次いで第一線を退いたために、その都度マスコミ陣から「浅井もついに引退か?」と囁かれていた。1992年8月開催のバルセロナオリンピック女子マラソン国内選考会だった、同年1月の大阪国際女子マラソンではレース後半ペースダウンし、13位と完敗。しかし、同年3月の名古屋国際女子マラソンでは一般参加で出場し、終盤まで優勝を争って3位に入り、バルセロナ五輪日本代表は逃したものの4年ぶりにマラソン自己記録を更新した。33歳だった1993年3月の名古屋国際女子マラソンでは4位ながらも、30回目のマラソンで目標だった2時間30分台を初めて突破する、2時間28分台の自己最高記録でゴール。また同年7月のゴールドコーストマラソンでは、2時間29分台の大会新記録(当時)で優勝。
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