3度目の大統領選、ママドゥの勝利
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「社会発展国民運動」の記事における「3度目の大統領選、ママドゥの勝利」の解説
1999年4月には再びクーデターが発生し、マイナサラ大統領が殺害され、ダオダ・マラム・ワンケ率いる軍事政権「国家和解評議会」が成立、議会は解散され憲法も停止となった。同年10月に大統領選挙が行なわれ、ママドゥが当選し、6年ぶりにMNSD出身の大統領が誕生した。ママドゥにとっては、3度目の大統領選挙にしてようやく勝ち取った勝利だった。2位は既にMNSDとの連合を解消していたPNDSのマハマドゥ・イスフ元首相であった。また同年の議会選でもMNSDは旧反対勢力CDSと連立し、議会多数派を形成した。これに伴い、アマドゥが首相の座に返り咲いた。 大統領選挙での当選により、ママドゥはMNSD議長の座を離れ、ハミドゥ・セク暫定議長を経て、2001年12月にはアマドゥ首相(元MNSD書記長)がMNSD議長に就任した。2004年11月から12月にかけて行なわれた大統領選(2004年ニジェール大統領選挙)では、ママドゥが再選され、PNSDのイスフ元首相を再び破った。だが同時期に行なわれた議会選では、MNSDは第1党の座を守ったものの、113議席中47議席を獲得するに留まり、CDSとの連立で辛うじて過半数を維持することとなった。
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