3人の恩人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:33 UTC 版)
移民としてフランスに暮らすチェンは、長い間、貧窮と孤独に苦しんだ。かろうじて生計を立てながら、図書館に通い、ソルボンヌ大学やコレージュ・ド・フランスで講義を聴講した。コレージュ・ド・フランスの中国語・中国文学の教授ポール・ドミエヴィルと出会い、ドミエヴィルにフランスの国民教育省の高等教育部門の部長ガストン・ベルジェに紹介された。「未来研究センター」設立の準備を進めていたベルジェには、中国人の協力者が必要だったからである。だが、ベルジェは交通事故で不慮の死を遂げた。ベルジェの葬儀で、偶然にも東洋学者ポール・ペリオの弟子アレクシス・リガロフに出会った。彼は中国語センター(社会科学高等研究院の東アジア言語研究所の前身)の設立にあたり、チェンを採用した。1960年のことであり、渡仏12年目にしてようやく定職に就くことができた。彼は、他に多くの人に助けてもらったとしながらも、フランスで生きていく目途が立ったのはドミエヴィル、ベルジェ、リガロフの3人のお蔭であると語っている。
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