3つのブルゴスと1つの都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 05:34 UTC 版)
「パンプローナ」の記事における「3つのブルゴスと1つの都市」の解説
11世紀から復活した経済成長がパンプローナの都市生活を回復させた。歴代のパンプローナ司教たちは、教会内の指導者的役割に復帰した。かつて数世紀間孤立していた修道院、特にレイレ修道院は実際に宗教の権力を持っていた。サンティアゴの巡礼路が、ピレネー山脈を越えてやってくるヨーロッパのキリスト教徒と商業・文化のやりとりを復活させるのに多大に貢献した。12世紀、パンプローナは2つの分離されたブルゴス(独立した自治体)を持つ都市に拡大した。サン・セルニン(San Cernin)とサン・ニコラス(San Nicolás)は、地元ナバーラ人の定住者に加えフランス人商人と職人の流入によって膨張した。パンプローナ旧市街と、新ブルゴスはほぼ常に両者の間で起こる紛争で忙しかった。最も劇的な事件は、1276年に起きたブルゴス住民によるナバーラ人居住区の破壊と住民の虐殺である。この凄惨な出来事の場所は以後ほぼ50年間打ち捨てられていた。ナバーラ王カルロス3世は、1423年にブルゴスを統合して1つの都市とする法令を発した。
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