218武漢空戦
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1938年2月18日、蚌埠飛行場(中国語版)を発した一連空の九六陸攻15機(木更津空9機、鹿屋空6機)と金子隆司大尉率いる援護隊の九六艦戦11機(第十二航空隊の金子大尉ほか2個小隊5機、第十三航空隊の森貢一空曹ほか2個小隊6機)が13時、漢口上空に飛来。陸攻隊は猛烈な地上放火を受けながらも飛行場を爆撃し、地上のSB1機を破壊。分離した艦戦隊は飛行場から約2キロ西の上空にて、前日に襄陽より移駐していた中国空軍第4大隊のI-152 19機(大隊本部・第22・23中隊) I-16 10機(第21中隊)と交戦。また帰途中、武湖上空にて南昌より飛来したソ連空軍志願隊のニコライ・スミルノフ中尉率いるI-152 6機、アレクセイ・ブラゴヴェシチェンスキー(ロシア語版)率いるI-16 12機と交戦。日本海軍はI-15 15機(うち不確実1、志願隊1)、I-16 2機(うち志願隊1)、SB 1機の計18機撃墜、4機喪失と発表、その中には金子大尉も含む。中国側記録は、12機撃墜、被撃墜8機(うち3名生存)で、李桂丹大隊長も犠牲となった。志願隊の損害は、ソ連側の記録では日本側の記録と同様にスミルノフ中尉ほか1機が撃墜されたと考えられる。
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