2012年~2013年 ~カチューシャ移籍・引退へ~
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2011年暮れ、突然のGEOX-TMC消滅と、不和であったカチューシャ・チーム首脳の人事刷新により、ついに母国のチームへの加入が実現した。しかし2012年は、8年ぶりに出場したパリ~ニースをはじめ、春先のレースの多くをリタイアし、体調不良と調整不足は明らかであった。 ツール・ド・フランスの調整の一環として出場した、ロシア選手権大会個人タイムトライアルでは優勝し、初のナショナルチャンピオンタイトルを獲得したが、ツールでは序盤こそ上位につけていたものの2週目以降失速し、15位という結果に終わった。 ロンドンオリンピック (2012年)には、ロードレースと個人タイムトライアルの両方にロシア代表として出場した。 ブエルタ・ア・エスパーニャ2012には、総合優勝を目指すホアキン・ロドリゲスのアシストとして参加。ホアキンの総合3位獲得に貢献したが、メンショフ自身も第20ステージ、ボラ・デル・ムンドで逃げ切りの区間優勝を果たした。(ブエルタ・ア・エスパーニャ・第20ステージ) ロシア選手権を除けば3年以上レースでの勝利から遠ざかっていた上に、今大会最難関ステージでの優勝ということで、喜びと安堵の感情を隠すことはなかった。 2013年シーズンも同チームでスタートを切ったが、5月に引退を表明。近年は膝の故障に悩まされていたという
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