2005年の和平合意
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「アフリカ連合ダルフール派遣団」の記事における「2005年の和平合意」の解説
2005年1月9日にスーダン政府とスーダン人民解放軍 (SPLM/A) との間の南北内戦の包括的和平合意を支援するため、国連安保理は安保理決議1590を2005年3月24日に採択し国連スーダン派遣団を創設した。 2005年7月13日ナイジェリアは680人の部隊を派遣し、2つの部隊もそれに続いた。ルワンダ、セネガル、ガンビア、南アフリカが大隊を派遣した。 9月15日アブジャでの和平交渉にスーダン政府と2つの主な反乱グループが参加したが、スーダン解放軍の分派は参加せず BBC は「いかなる合意も受け入れないだろう」と報じた。9月28日ジャンジャウィードがアロ・シャローの国内避難民キャンプを襲撃し少なくとも32人を殺害した。10月1日 AU はスーダン政府と反乱軍の双方を停戦合意違反として非難した。AP通信は、AU がこの2週間で少なくとも44人を殺し、数千人を退避させたのはスーダン政府の計算された理不尽な破壊行為だとして非難したと報じた。 2005年11月9日スーダン政府とスーダン解放軍 (SLM/A) 及び正義と平等運動 (JEM) は紛争を終わらせるための2つの短期間の和平合意を結んだ。1つ目は反乱軍が支配する村に対する政府軍による空爆を止めさせるための飛行禁止区域の設定の合意であり、2つ目は国際的な人道援助団体にダルフールへの制限のないアクセスを認めることであった。これは2004年10月25日から AU の仲介でアブジャで始められた交渉の成果だった。
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